【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#6
俺は、自分の進路について納得がいっていなかった。納得がいっていないというか、ほかに行きたい大学があったと言うべきか。これといって特に表立った理由はなく、俺にとって難関ならばどこでもよかったとも言える。
俺が自身の進路を語る上で、まず、俺の家族構成について触れておきたい。
高校時代までの俺は、両親と五つ年上の兄、そして父方の祖父母と一緒に、大阪高槻の実家で暮らしていた。父母ともに大学教授として別々の大学に勤務しており、兄は今年から京都にある某国立大学医学部のM1である。
俺の両親は、全国屈指の国立大学、いずれも理系の学部を出て、母に至っては博士課程まで修了している。国家公務員試験に一発合格し、県庁に勤務していた時期もあったらしい。
いわゆる、エリート・オブ・エリートの家系なのである。
一方、俺の瞻仰している兄は、医師を志して難関私立大学の医学部に行き、今春、国立大の医学研究科に進んだ。
三年前に亡くなった祖父も昔、教員として大阪の大学に務めていたらしい。
そんな「超」がつくほどの優秀な血筋の家庭で育ったものだから、その傑出した血をダイレクトに受け継いでいるはずの俺が、賢くないはずはない。だから、俺は勉学を怠った。
代々継承されてきた天分豊かな遺伝因子が流れているなら、ことさら勉強なんかしなくても、そこそこに一流の大学に行けるし、そこそこに優良な企業で働けるものだと、俺は小さいころから信じて疑わなかった。
しかし。蓋を開けてみればどうだ?
俺の「頭の悪さ」が顕著に現れ始めたのは、中学生の時だった。初めての中間試験。返ってきた自分の答案用紙を見て、俺は絶句を禁じ得なかった。その驚愕たる点数、数年が経った今でも、鮮明に思い出すことができる。
中学では赤点という概念がなかったにしろ、「二十九点」だの「十八点」だのといった数字が当たり前のように手元に残り、最も点数がよかった教科でさえ、六十点台という為体だった。
これは何かの間違いにほかならない。兄はさも当然とばかりに八十点台、九十点台を叩き出していたではないか。これは神のちょっとしたイタズラに違いない。……などと信じ込もうとしたが、理由は自明であった。
俺は勉強ができない。両親や兄のように、卓越した優秀な頭脳は持ち合わせていないのだ。
中学時代の俺の成績は言わずもがな、百五十人以上いる同級生の中で、順位表の下から数えたほうが断然はやく名前に辿り着けるという、正視するのも憚られる、極めて不名誉なものだった。高校生になって少しは改善したものの、それでも安定して好成績には程遠く、下の中と下の上の間を低回している始末だった。
自分以外の家族が優秀すぎるがゆえに、俺だけが「何も特出したところのない残念なやつ」というレッテルを貼られているような、被害妄想じみた観念に囚われたことは、数え切れないほどある。意図せず純白の布に落とされた一点のシミのような、一家の面汚し的な、身の置き所がない心情を抱き始めてから数年……。
とりわけ、我が家の白眉ですらある兄との落差に、何度も自分の愚鈍さを呪いたくなった。学生のうちならまだしも、社会に出れば事あるごとに比べられはしないか? それだけで恐怖が襲ってくる。多少の格差であれば目を瞑るが、こんなにも差をつけられなくてもよかったのではないのか?
こんな理不尽が許されるはずがない。いや、あってはならない。なぜ俺にだけ、両親の優秀な血が流れていないのか? なぜ、神は俺に一物さえも与えてはくれなかったのか? これは神の横暴なのでは?
勉強しなかったお前が悪い、と思われるかもしれないが、よく考えてみてほしい。
仮に俺も「賢い遺伝子」を受け継いでいたとして、人一倍努力してやっと一流の国立大学を目指せるだけの脳を所有していたとしよう。それならば、何ら学習を施さなくても、難関私立大学――少なくとも、中堅私立といわれる大学くらいには造作もなく合格して然るべきでは?
よって、俺には両親の遺伝が受け継がれていない。それなら、なぜ俺は勉強できない?
中学時代、夕飯の席で、「俺が勉強できないのは二人の子ではないからで、新生児取り違えによって生き別れたもう一人こそが、本当の子なのではないか」という推論を呈してみたところ、激高した祖父によって「阿呆言うな」と頭を引っ叩かれた。実に理不尽である。
当然、高校卒業後の進路についても、俺に与えられた選択肢はかなり限定されていた。それでも俺は頑なに、少しでも偏差値の高い大学を志望校に選んでいた。親や兄弟が揃いも揃って理系の学部を卒業しているから、何の迷いもなしに理系クラスに進級したし、俺には体裁さえよければ、ほかはどうでもよかった。
さすがに理系の学部は周りからの反対もあり、俺自身も高校の成績に鑑みて、仮に入れたとしても卒業できるわけがないと思い、除外した。だから俺は、世間的には評判の良い、そこそこに名の知れた大学だけを志望していた。難関と呼ばれるところはもはや諦めていたが、中堅私立大学くらいには頑張れば受かるのではないか、という淡い期待を抱いて。
なかんずく俺が高校時代、ずっと第一志望にし、度々口に出していた大学があった。京都の中では名の通った私立大学で、実家から通いやすいとは言い難いが、俺にとってはかなりの高水準を誇っていた。といっても、世間的には平均より少し高いというレベルだが、俺がそこにかける情熱は、ほかの大学よりも一段突出していた。
一等入りたいと思う大学を受験する前提で、俺は勉学に励んでいたが、その努力は高校三年の夏、両親の介入によって打ち砕かれた。両親というより、家族総出で反対されたのだ。理由は明白で、「一年頑張った程度では絶対に受からないだろう」と思われていたとしか思えない。けれども、それは俺が一番よくわかっていた。定期試験で赤点を取りまくっていたのだから、悔しいが、そりゃそうだと言わざるを得ない。しかも、いささか質が悪いのは、はっきりとは言われず、婉曲的な言い回しで、それとなく、別の大学を推薦してきたところだ。「お前は頭が悪いから、ここくらいがちょうどいい」とでも言いたげな詭弁論に、俺は内心腹が立った。
歴史が好きだという俺の趣味を知っていた母親が、「遺産学科」という名前を口に出し、熱心にそこへの進学を俺に説いて聞かせた。
たしかに俺は幼少時から、祖母に連れられてよく近所の神社に参拝に行ったりしていたし、古い寺社仏閣の匂いやら雰囲気やらをひどく気に入っていた。好きな分野について学べるのなら、特段興味もない学部を中途半端に選択するよりも、余ほど有意義だろう。……という母親の主張も、理解できないこともなかった。
ただ、それだけでは俺も納得しない。やはり今さら志望校を変更する行為自体が、俺の精神に対する冒涜ですらあるような感じを与えた。せっかく赤本も購入し、さあやるぞというときに、どこかもわからない、名も聞いたことがない大学に、なぜ今さら軌道修正しなければならないのか。
俺も、まさか一発で合格できるとは、さらさら思ってなどいなかった。チャレンジすることに意義があるのだ、と思っていた。浪人覚悟で挑んで、合格できなかったとしても諦めるか、一年後に行けそうな大学を選んで受験するつもりだった。そこからでも遅くはない、という心積もりだった。それなのに、受けることすら許されなかったのだ!
もちろん、俺もここで折れなかった。無名の大学を頑なに推し進めてくる母、それを他人事のように傍観する父。その二人と正面衝突する覚悟で、俺は説得を試みた。しかし、そこに台頭してきたのが、当時大学生の兄だった。
将来、大学を卒業して就職活動をする際に、学歴に瑕疵が生じてしまう。浪人すれば、経歴に空白の年が存在してしまい、それが見て呉れとしてはよろしくない、というのだ。それならば、まだ「中退→入学」という流れのほうが見栄えとしてよく見える。そこで勧められたのが、とりあえず例の大学に籍だけを置き、単位を取得しつつ再受験に向けて準備したほうがいい、というものだった。
まだ純真無垢の高校生だった俺は、兄の言うことだから一理あるのだろう、と何も考えず、その提案を鵜呑みにしてしまった。今にして思えば、詭弁以外の何物でもない。
その理論を通すなら、浪人しているやつが皆、就職活動で不利になるだろうが。どこの企業に、「あ、こいつ浪人してるじゃん。不採用にしたろ」などと考える採用担当者がいるのだ。全国隈なく探せば、少なからずあるとは思うが、それだけで決まると思うほうがおかしい。
兄は一年浪人しており、五歳上だが、俺が高校三年の頃には四回生だった。友達が皆、就職したり進学したりするなか、それなりに苦労していたのは俺も知っている。可愛い弟に同じ轍を踏ませたくないということも、百歩譲って理解はできる。それならば、俺にも一つ言いたいことがある。
自分の後悔を押しつけ、人生に干渉し、弟の未来を捻じ曲げようとする行為ほど自己中心的で愚かなことはない。「同じ憂き目に遭ってほしくない」というのはわからなくもないが、余計なお世話だというほかない。
兄も大概の暴論を吐くが、母に至っても、たしかに頭は良いかもしれないが、価値観が著しく一致しない。どうやら母自身も、息子に一流大学に進学してほしいという思いより、「少しでも楽な道を選ばせてあげたい」という気持ちのほうが強いらしい。俺としては、茨の道に放り込まれるのも吝かではないのに、それすらもしないということは、そういうことである。
それについては、両親や兄は悪くなく、むしろ俺にしか非はない。
我がDNAを疑うレベルでどうしようもないから、少しでも苦労しなくて済むような進路を示してくれたに過ぎない。
だが、そうやっていつまでも甘やかすから、ろくすっぽ苦難の味も覚えないままに、大人になっていくのだろう。これは決して己を正当化しているわけではなく、常に至難が身辺にある環境で育っていたら、もう少しマトモな人間になっていた気がする、というだけのことだ。
かの戦国武将、山中鹿之助は言ったという。我に艱難辛苦を与え賜え、と。
ああ、父よ、母よ。我に偏差値四十以下のアホでも耐え得る程度の艱難辛苦を与え賜え。
◯
親の七光りのもとに得た富を恣にし、自惚れ、「努力」という言葉を嫌い、勉学を唾棄し、己の心に甲斐性を育ててこなかった自分が悪いのは百も承知だが、父母の育て方にも疑問が残る。
幼少期から一流大学に入れるため、尻を叩いてでも勉強を強要してきそうなものだが、多少の「勉強しなさい」という教示はあったものの、それほど強制されてこなかった。
父いわく、祖父が厳格な人だったから、息子たちには自由にさせてあげたかったということらしい。そのおかげで、幼少期は同年の子と比べて、つらい思いはあまりしてこなかった。その代償として、こんな劣等感に苛まれる日々を送っているのだが。
俺の両親は、どちらかというと、そういうハイスペックだの、学歴社会だのという概念に、ひどく無頓着らしい。この世に生まれたときから周りより優れているものだから、底辺の人間の気持ちなど、とても理解できないのだろう。テストは常に満点、気がついたときには勉強が得意でした、という種類の人たちなので、話が通じなくても不思議はない。
話が通じないといえば、今でも腑に落ちない談話がある。
俺が実家を離れる二日前、母が放った言い分はある意味すごかった。その日、母は食卓の席で、俺の将来を祝福するように、大学進学が決まったことを改めて褒めてくれた。俺は進路に納得がいっていなかったので、母の気持ちを受け止めつつ、「なんであんなたいして偏差値の高くない学科に受かったくらいで喜ぶのか」ということを、遠回しに尋ねてみた。しかし、その瞬間、それまで上機嫌ににこにこ笑っていた母が突然、目を剥いで怒り出した。
「そんなこと言うたらあかん! みんな、そうやって誤解するから……」と、どこからの引用かもはっきりとしない月並みな台詞をヒステリックに散々宣ったあと、折からテレビでプロ野球中継をしていたので、映された選手を引き合いに出すや、言うに事欠いて、「この人ら、偏差値いくつや? なんぼ稼いでる?」などと、まるで的を射ていないことを言い出した。
全くもって馬鹿にしている。意味がわからない。その理屈が通るなら、選手に対して失礼もいいところだと思う。実力がある選手ほど、頭を使ってプレーしているものだ。
たとえば、どの角度でボールを放てばどのくらい遠くへ飛ばせるのか、というようなことを打席に立って考えながら、脳内で緻密な計算式を展開しているに違いない。
力だけあっても、頭脳が貧弱ならばそこまでだ。最初こそ活躍できたとしても、研究しつくされれば、とたんに打てなくなる。どんなに好成績を収めていた名投手でも、弱点をつかれればすぐに打ち込まれる。パワーだけでは勝てない。冴え渡る頭脳ありきの技術あってこその、名手なのだろう。知らんけど。
仮面浪人についても、最初はあまりいい反応をされなかった。
「このままあの大学に通えばいいのに」「何がそんなに不満なのか」と眉をひそめるだけで、反対も賛成もされなかった。けれども、もう一年だけ受験するチャンスをくれと懇願したところ、不承不承だが一応承諾はしてくれた。
昔から、俺には負けず嫌いなところがあり、近傍の人間と自分をついつい見較べてしまう癖があった。それによって傷つくことも多かったわけだが、幼少のころに根づいたトラウマや劣等感は、大人になってから簡単には拭えない。それは自覚している。ただ、そんなに単純なものだろうか?
誰かより優れていたいと思う気持ちと、無能な自分を見せられる現実との乖離は、なんとも説明しづらい。何をどこで間違ったのか。いずれにせよ、もうあとには引けないのだ。
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