【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#4
四限終わり、俺は明坂と会う約束をしていたので、学生会館二階の学生食堂に行った。
天井には何のためか、正方形の鏡が何枚も連結し、それが幾何学的なジグザグ模様に嵌め込まれている。床はひし形模様のフローリングで、壁はレンガ造りとなっており、ここに学生しかいないことを除くと、西洋風の洒落た喫茶店のような構造である。
普段、俺は昼食はコンビニのパンかおにぎりで済ませることが多く、個人で食堂に行く用事もないので、来るとしたらゼミ発表の打ち合わせか、誰かに呼ばれたときくらいなものだ。
それにしても、お洒落な内装とは裏腹に、ここに屯している多くはズボラな学生たちというのが実に惜しくはある。
片隅で勉強会などが開かれていることも無きにしもあらず。しかし、そのほとんどは授業をサボってきた学生や、暇を持て余し菓子をつまみながらトランプに興じたりする学生が主体で、これが学生食堂における現状なのである。それでも、まあ、他人に迷惑をかけているわけでもないので、なるべく多くは語らないようにする。ただし、野放図に騒ぎ立てるヤツは家でやれ。
「こっちだよ、こっち」
窓際の隅の丸テーブルから、明坂が俺を呼んだ。
手を振りながら合図してくるので、俺は渋々そこへ行き、彼の傍らの椅子に腰かけた。そこで、俺はようやく「大宅廃寺」のことを詳しく聞いた。
約六十年前の発掘調査で、あの近辺に四棟の寺院建物の痕跡が見つかり、「大宅廃寺」と命名された。それ以来、今日に至るまで何度も発掘調査が続けられてきたものの、まだその大部分は謎に包まれているという。
一説によると、藤原鎌足の山階精舎だったとか、豪族大宅氏の氏寺だったとか言われるが、寺院があったとされること以外は何も遺されていない。
この大学の住所を調べるとたしかに「大宅」という名前が確認でき、周辺地域も町名に「大宅」を冠している地区が多い。大学の近くに「大宅甲ノ辻」というバス停があることからも、そのことが推察される。大宅廃寺と名付けられたのも、おそらくそれらの地名が由来となっている可能性が高い。
現在は麓の中学校の正門のそばに、「この付近 大宅廃寺跡」と刻まれた石塔が立っているほかには、特に何もないらしい。
そんなものを探すために、あちこち歩き回っていたのかと、その話を聞いて、俺は内心後悔した。
些細なことから知見を広めるのも、教養を深めるために一役買うと明坂は話していたが、果たしてあれを見つけることに意味があったのか?
「歴史を知るためには、いろいろ見て回らないと。実見あるのみ、ってやつだね」
「だからって、俺がなんであんな寺院跡の、石柱に興味を持つと思ったんだよ」
「いやあ、ね。そういうの、君は好きかなあって思っただけだよ。で、どうだった?」
「どうだったもくそもあるか。なんだよ、『大宅廃寺』って。てっきり、アルプスの少女ハイジと関係あるのかと思って、無駄に深読みしちゃったじゃないか」
「あのね、さすがにそれはおかしいって。山科盆地の一劃にある寺院跡が、ヨハンナ・シュピリの児童文学と関連性があるのは」
「お前がややこしい言い方するからだろ」
「ほら。そうやって、すぐ人のせいにする。君の悪い癖だね」
「お前が俺の何を知っている」
「まあ、いいけどさ」
益体もない会話に飽きたのか、明坂はテーブルに頬杖をついて、窓外に視線を転じた。そして大宅廃寺に話を戻した。
「そういえば、大宅廃寺の歴史は知ってるのかい?」
「知るか」
「なに、石碑の説明文、読まなかったの?」
そんなに意外だったのか、彼は大袈裟に眉根を上げてこちらを見る。
俺も大宅廃寺跡の石碑を見たことは覚えている。ただ、それは中学校の敷地内にあり、門外からでは光の反射で霞んで読めそうもなかった。勝手に校内に侵入し、かつ飄々として文字を読んでいたやつは一名いたが。
明坂は大宅廃寺跡について、考察(受け売り)を簡潔に説明した。
「飛鳥時代の白鳳期に建てられたとか、中臣鎌足が建てたのによく似ているとか、色々と推測されてるみたいだね。知らんけど」
「己の発言には責任を持ち給え」
俺は言った。
「それは無理な話だね。どこまでを責任の範疇とするかは、その人によるもの。だから『責任を取れ』と他人に強要するのは、根本的な誤謬というほかないね。それは犬に空を飛べと言っているようなもんだよ、知らんけど」
「黙れ、エセ関西人!」
自分でも、なんという頭の悪そうな会話だろうと思ってしまった。このやり取りを他人が聞いたら、八割の人間は距離をとろうと思うに違いない。残りの二割は俺や彼と同類、つまり本物の馬鹿である。
「俺、そろそろ帰るわ」
バス待ちの学生も少なくなった頃だろうと思い、俺は立ち上がった。
そもそも大前提として、明坂とのこんな与太話に花を咲かせてやったのは、混雑を避けて時間を潰すためである。ただ、あまりにも無益すぎて水も何もあげないものだから、与太話の花は枯れ、話題もとっくに尽きてしまった。
「バスで帰るの?」
明坂は少し残念そうに、席を立った俺に声をかける。
「ああ」
「じゃあ、またね」
小さい子供のような調子で、明坂はそう言うと、俺に手を振った。
俺はそいつの無邪気な顔を目尻に捉えつつ、白テーブルが整然と並んだ通路を通って、足早に食堂を抜けた。
俺は内心、疲弊していた。あいつと話していると、とにかく疲れるのである。
◯
明坂は、この春に新設された、理工学部の電子情報学科の一期生だ。
俺が彼と出会ったのは、英語の初回授業のときだった。教養必須科目である英語のクラスは、諸々の学部学科から数人ずつ集められているので、他学科の学生と関われる数少ない機会でもあった。
彼との最初の会話は、休み時間に向こうから話しかけてきたときだった。彼は俺の一つ後ろの席であり、位置の関係上、もっとも話しかけやすかったからだろう。
「君、どこの学科?」など何気ない質問から始まり、いくらか言葉を交わすうち、自然と打ち解けていた。今では連絡先を交換し、バス停まで一緒に帰ったり、次の教室に向かう際も途中まで一緒に行ったりするので、この学内において、今のところ俺ともっとも親しくしてくれるのは、明坂かもしれないと思うくらいには、よく話す。
が、こいつの特徴として、非常によく喋り、他人のパーソナルスペースなどお構いなしに、グイグイと内的距離を詰めようとしてくる。
極めつけは、川の急流のように、とどまることを知らずべらべらと喋り続けた挙句、「君にはこれくらいやかましい友達がいた方がいいと思ってね」などと言ってきた暁には、思い切り横腹に蹴りをくれてやろうかと思ったほどだ。
また、彼は理系の学部に在籍していながら、歴史学などにも造詣が深く、図書館が所蔵する歴史書を読み漁り、般若心経を諳んじ、坂本龍馬を崇拝し、日本文学を嗜み、古文書の崩し字解読に至っても、多少会得しているという。「広く浅い知識の海を出航せよ」というのが、彼のモットーであるらしい。
俺が歴史関係の学科だと知るやいなや、「学外授業でどんなところ見学したりする?」という質問をしてきた際には、心底困った。そういう通常の授業の枠を外れた課外学習には、俺は基本的に参加したことがないのだ。
それからも、彼はちょくちょく俺に「最近どこ行った?」などと尋ねてきたり、聞いたこともない遺産の名前を口にして、しつこく勧めてきたりする。今回の「大宅廃寺跡」も、その例に洩れない。
俺にとって明坂の存在は、今や「仮面浪人生活」における足枷でしかなくなった。
余談だが、彼は高校時代、野球部員だったらしく、本人曰く、県予選でベスト四まで勝ち進んだこともあるという。これも事実かどうかわからないが、三年生の頃はレギュラーをとっていたらしい。そのためか、手が非常に汚い。スライディングをしたときの残痕か、爪はところどころ黒ずみ、甲には痣や傷が湯垢のごとく残っている。
よって、研鑽された俺の純然たる「人間の手を見る目」によれば、彼の「手偏差値」は二十八。高校の定期考査に置き換えると、赤点ということになる。
俺の眼鏡にはとてもかなわない。残念だったな、明坂よ。
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