「旅するように生きたい」
30歳も目前となると、「結婚はしないの?」
結婚すると、「子供はどうなの?」
子供が生まれると、「家を建てないの?」
なんで、誰かの敷いたレールの上を歩かなければいけないのか?
平成も終わろうとしているご時世に、いつまで旧時代の思考を押し付けるつもりなのか?
他人は身勝手で、どこまでも無責任だ。
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自分の人生、どう生きるかは自分で決める。
そんなの当たり前。
しかし、いったいどれだけの人がこれを出来ているのだろうか?
常識や世間の目、他人の身勝手で無責任な言葉に翻弄されていないか?
自分の本心のまま生きることに何らかしらの戸惑いや抵抗を感じていないか?
自分のやりたいように生きて、失敗したっていいじゃないか
やりたいことをやることで見えなかった景色、できなかった経験を積むことができたなら、それは決して失敗なんかじゃない、そう思う。
失敗や後悔を必要以上に恐れて、誰かの敷いたレールの上を歩くような人生で、あなたは満足できるのか?
僕は誰かの敷いたレールではなく、自分(と家族)で歩む道を選びたい。
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「旅するように生きたい」
と、タイトルに書いたけれど、別に年がら年中旅をして生活したいわけではない。
冒頭でも書いたけれど
子供が生まれたという単純な理由で、家を建てたくないのである。
家を建てれば、当然そう簡単に引っ越すことが出来なくなる。
10年、20年、またはそれ以上の年月をその土地で暮らすことになるだろう。
僕は生まれて20年近く群馬県で暮らし、社会人になってから10年近く埼玉県で生活している。
できれば、もっと多くの土地を見てみたいし、気に入った土地があればそこで暮らしたいと考えている。
出会ったことのない人々と関わりたいし、その土地々々の食事も楽しみたい。
その土地での暮らしに飽きたなら、また次の土地に暮らしを移す。
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たとえば、こんなのはどうだろうか?
子供が小学校に入学するまで住みたい街で暮らす。
その土地での生活に満足ができたなら暮らす期間を延長し、そうでなければ次の土地に移る。
小学校から中学校は義務教育の続きとなるので、引き続きその土地で暮らす。
子供が高校に入学するタイミングで再び引っ越しを検討してもいいかもしれない。
高校だって、今住んでいる土地を基準に選ぶ必要はない。
全寮制の高校だってあるし、子供の通いたい高校があるのなら、そこに引っ越してしまうのも有りだと思う。
子供が成人したら、夫婦ふたりが暮らせるだけの小さな家を暮らしたい街に建てる。
これはひとつの例えだし、自分でもけっこう突拍子もないと思う。
しかし、こんな暮らし方も今の時代有りなんじゃないのかな、とも思う。
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「そんな思うようにいくわけがない」
「親なのに考えが甘いよ」
そういった意見もあるかもしれないし、確かにその通りかもしれない。
でも、これからの20年が今までと同じ20年を辿るわけではない。
日本の少子高齢化には歯止めが効かないし、人口はますます大都市圏に一極集中化するかもしれない。
そんな時代に、僕は「家を買う」という行為に、どうにも合理性を見出だせないのである。
自分が納得できないことを行動に移すくらいなら、自分がやりたいと思うことをした方が、やはり満足いく気がしてならない。
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清流が堰き止められることで淀み濁るように、人間も一つところに居座り続ければ淀み濁る。
風通しの良い環境や人間関係が社会に必要なように、暮らしにもどこか自由が必要なのではないか、そう思っている。
現状に甘んじて淀み濁る、その前に、旅に出よう。