明日から
いよいよ仕事再開で、今日は最後のお休み。
文章を書くのはそんなに好きではなく(中身のある内容を書くのが得意ではない)、自分の中にある大切な何かを表現しようとすると、いつも言葉が出なくなってしまう。何かを感じていることはハッキリわかっていて、その色や形や手触りも自分ではつかんでいるのだけれど、それを言葉にしようとするとつかみどころがなく、わけがわからなくなってしまう。
楽器を弾いたり歌を歌ったりするときには、どうやったら伝わるか、とか考える必要もなく、というより考えた方が不自然になるので、私にとっては演奏で自分を伝えることの方が向いているということなのだと思う。
苦手な文章をなぜ書くことにしたのかというと、心の健康のためと、私が亡くなった後、二人の子供たち(6歳の娘と5歳の息子がいます)がこの記録を読んで、”ああ、ママはこんな風に生きてたんだ” ”あの頃、そんなことを考えていたんだな”とか、何か残したいと思ったから。
私の人生は、この一瞬一瞬の積み重ねは、宇宙全体からみたら取るに足らないものだということはわかっている。同時に、ものすごく巨大な力をもつものだということも知っている。そして、少なくとも、この記録は子供達二人にとっては代わりのきかない何か、二人がおそらく私より後も生きていく上で、少しばかりの栄養になることを願って。
大学時代、教育大学の音楽コースで学んでいた。いわゆるゼロ免という、教育大学なのだが教員免許を取らずとも卒業できるコースで、私はそこでコントラバスを専攻していた。正確には声楽専攻で受験、合格し入学したので、最初は声楽専攻だった。入学後に声楽はどうにも向いていないしうまくなる気配もないとハッキリわかった頃、副科でやっていたコントラバスの方が面白くなり、1年次にサッサと声楽に見切りをつけて転専攻の試験を受け、コントラバスに専攻替えしてしまったのだった。
それから時は流れに流れ、わりと一生懸命頑張っていたコントラバスという楽器が、いまさらだがでかすぎて(運ぶにも弾くにも大きすぎて大変・・)本当に嫌になり、2020年の暮れにチェロを趣味で始めることにした。
趣味でやっているので何も気負うところがない。趣味でやっているおばさんなので、先生も沢山褒めてくれる。それが楽しくて、習っている先生にも最初は大学でコントラバスを専攻していたことは黙っていた。
一年ほどレッスンに通って、そのあと別居、離婚とイベントが続き通うことが難しくなったものの、一人で楽しく練習はしていたのだが、仕事や家事育児に忙殺され、弾く気力がなくなってしまい、今年の4月頃から我が家のチェロは子供達にイタズラでボロン、ギーギーと鳴らされる以外はシーンと静まり返り、居間に鎮座している。
娘と息子は1年ほどヴァイオリンを習っているのだが、最近は、半年ほど前から、仕事に使おうと思ってなんとなく子供のついでに教えてもらっているヴァイオリンを、私も一緒に練習している。もちろんコントラバス専攻であったことと、チェロを一年習っていたという実績があるので子供達より上達が速いのは当然なのだが、大学時代は「上手くなりたい」という気持ちが強すぎて、怨念とも言える気負いが重すぎて、空回りしていたんだなあということに気づいた。上手くなろうと意識せずにただ楽しく弾いている方が、上達のスピードが格段に違う。このまま”楽しい”を極めていきたいなあ、と思う。
あんなに肩の力が入っていた大学時代の自分に、重すぎる自分に、「もっと軽やかにいきなよ」とアドバイス出来たらよいのに。でも同時に、よく頑張ったね、と言ってあげたいとも思う。
明日からまた、この静かな日々から、色んな種類の音が混在する世界に戻る。どういう心境になるのか・・できるかぎり、ここで記録をつけていきたい。
撮影 息子(スマホで勝手に撮ってた)
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