捨てるより、手に入れない力が必要なのかもって話。
僕は今朝、部屋の片付けをしていて
ふと、またモノが増えてきたなぁ、なんて考えていました。
なんでモノって、気付いたら増えてるんだろう。
ちなみに僕はおそらく、「ミニマリスト」にはなれない。
いや、なろうと思えばなれるんだろうけど。
ふだん使わない「モノ」を再利用して、何かを作るのが好きだったりするから。
なろうと思わない。
例えば、プレゼントで使った樹脂粘土と、中学のときに使っていた絵の具の余りでピアスを作った。
古くなった木箱をいただいて、インテリアにしたり。
でも、僕の家は比較的モノは少ない方だと思う。
なぜなら、家が狭いから。
1DKに彼女と二人、猫一匹をつめこんだこのアパートの大きな収納は、身長167㎝の僕が、やっと寝ころべるクローゼット1つだけ。
あとは、玄関の小さな靴箱とキッチンの上下。
一応、小さな引出やら棚やらは買って置いてるけども片付けきれないから、定期的に断捨離してモノを減らしてるけど。
う~~~~~~~ん……………。しかし、なぜだ。
気付いたら結構モノが増えて、ごちゃついてる。
今は読書ブームだから、
本が机の上の山積み。
あとは、彼女が趣味で育てている
植物が増えた。
さて、どこから手放そうかって考えたとき
ものすごく、エネルギー使うよね。
うん。疲れる。
捨てる捨てないとか、やるやらないとか。
だから、「決断疲れ」って状態になるらしい。
何かを選択しているから「選択疲れ」とも、言えそう。
Appleのスティーブジョブズも、デザインが同じ服を毎日着まわして「決断疲れ」を防いでいたとか。
モノを減らすだけでも「選択」や「決断」って、すごい回数必要で。
これだけの「選択」や「決断」が必要になってくる。
それもモノを捨てるか考えるには、片付け1回につき、じゃなくて「モノ1つおき」に最低2回以上、選択する必要がある。
(必要性と、モノをどうするか)
どんどん思考は広がっていって。
最終的に片付けで「決断疲れ」の状態になる。
だから、片付けが嫌い。
じゃあ、片付けをしないで済むようにって考えたとき、大切なのは手に入れない力だなって思って。
手に入れるときの選択肢って、
これぐらいのもん。
一回買ってしまったら、そこから「手放す」までの選択肢が増えてしまうけど。
「買わない」ことでその先の選択肢がゼロになって、その先の人生の脳みその容量を確保できる。
だから「買わなかった」選択をすることで「脳みその容量が確保できた!」って喜べるなら、それはいらないものなんだなって考えてみることにした。
いいね。モノを手に入れない力。
身軽に生きられそう。
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