私が好きなものは「私が」好きなだけであって、なにも「あなたに」強制しているわけではないのだからそんなにムキにならないでちょうだい。こちらも一人の人間の戯れ言を真面目に受け取ってもらおうだなんて恐れ多くてできないわ。
「やがてスコールは降りやんで 鳥たちはまた飛んだ」 この一節を識ってから空がどんな色をしていようと自宅のドアをくぐり抜けた瞬間に私は空を見上げる癖がついた。香ばしい煙草の香りとしゃがれた声が恋しくなる十一月。 自分なりに哲学しつつも私は今日もくだらなくて愛おしい時間を生きている。
少しくたびれて帰宅したのちにワインを味わいながらoasisの「Step Out」を聴き『今夜は出かけよう』と慰められたけれども、もう身体はべろんべろんになっていて心と正反対の状況だということだけは冷静に理解できる自分の思考を踏まえたうえでどうしようもない人間性を噛みしめている。
「女の子なのに」この言葉を令和になってからも何回浴びたことか。 そうですよ、生物学的には女として生を受けました。それでも私はお酒も煙草も好きだしロックンロールも好き。あと車も好き。これが私なんです。 何か気に障ることを言ったのなら申し訳ないわ。
今の私には赤い口紅の跡を残した煙草の吸殻を置いていくことしかできない。
人生で日々起きることに「期待」するよりも、「機会」として考えてみれば肩の力が抜けて生きやすくなるかも。
この二週間弱で仕事を辞め、流行り病に侵され、半ばやけっぱちになって精神的に堕ちるところまで堕ちていた。体調が回復するにつれて、こんな時にも自分が生きているということをあらためて実感したら何故か不思議と満ち足りた心境になっている今日この頃。
出会いを大切にしながらもその日の記憶は「その日」に置いてくることも自分には大事なんだなと、爆音のロックンロールを肴にジャックコーラを155cmの身体に沁み込ませた真夏の夜。私の頭と心は一つ、私の手は二つきり。自分の限界を知ることも貴重な経験。
私の来しかた行く末なんざ考えたくないしどうでもいいと思っていた。 四月のとある日、桜は咲けどもまだ少し肌寒い夜。 コンクリートに固められた冷たそうなビルの前で私は佇んでいた。 稍あってエレベーターの三階を押して降り立ち、左右に首を振り左側にそれを認めた。 普段勝ち気な私がひとりで少し怯えながら開いた扉をくぐる。 借りてきた猫のごとく静かに普段飲まないビールを流し込んだ。 少し酔いも手伝い始めたあの時。 あなたの言葉を受け止めた瞬間に手にしていた三杯目のスコッチのソーダ割り
とても綺麗な心の揺れかた。 欲望に素直でありたいし、好きなものは好きでありたい。完璧なものは存在しないということを理解したうえで。 本当は晴れた空を見たい気分だったとしても、雨雲が垂れ込めた暗い空も愛おしいと思える気持ちでいたい。 現実の裏側もこの目でしっかりと見たい。 駄目な自分が安心していられる場所を用意しよう。 これ以上私自身を攻撃し続ける真似はもうやめよう、やっと大事に思えてきた私のために。 長らく感情を殺し続けた私を救おう。 これから素敵なこと、楽しいことを