本物の家族と擬似家族
数日前に、『SUITS/スーツ』というアメリカの弁護士ドラマにはまっている記事を書きました。
シーズン8まであるところ、昨日はシーズン6に突入。
ワクワクとドキドキが止まらない感じです 😊
先日の記事では、「ローコンテクスト文化(多民族国家としてのアメリカ)の中で展開されるハイコンテクスト文化(有能な弁護士事務所)というシチュエーションがおもしろい」と書きましたが、今回は『擬似家族』という側面について考えてみます。
というのも、展開の中で、事務所=会社の家族的側面が浮き上がってきているからです。
シーズン5の後半から、主人公たちはこれまでになかった極度のピンチに見舞われています。
そこで、これまたそれまでのシーズンにはなかった『家族愛』的結束が見られること。
それが、無性におもしろいのです。
逆に、フランシス・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』は、本物の家族の仲違いの話でした。
マフィアのファミリー同士の抗争も描かれていますが、兄弟間の葛藤が、その映画のコアと言えます。
特に、『2』のラストシーンがいいですね ❣️
一方、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『家族の肖像』は、近寄りつつも一体はなれない擬似家族の物語りでした。
ヤマアラシのジレンマを思わせます。
もっと言えば、深作欣二監督の『仁義なき戦い』は、ヤクザ映画なので一見『ゴッドファーザー』的ですが、擬似家族を描いている点では『家族の肖像』に近いと言えます。
ちなみに、わたしは『仁義なき戦い』の舞台となった、広島県の呉市出身です。
当地では、ホントにあんな言葉で話しています 😊