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夫婦の間のチンムドラー
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昨日は軽く哲学チックな記事を書きましたが、今日のテーマは宗教。
と言っても、ごく軽い内容です。
わたしの実家は広島(の呉市)にありますが、『備前法華に安芸門徒』というように、広島は敬虔な浄土真宗の信者が多い土地です。
『門徒』というのは、浄土真宗の信者のことを指す名称。
そして、わたしの母も祖母も、熱心な門徒でした。
ちなみに、妻の父方の実家は長岡なんですが、新潟も浄土真宗の門徒が多い土地で、義父の家系も浄土真宗でした。
法事などで、あげるお経が同じなのは「助かる」というと少し変ですが、ストレスがなくて善いですね 😊
ところで、浄土真宗の念仏は「南無阿弥陀仏」ですが、頭についている「南無」は「帰依します/お任せします」という意味です。
エゴを捨てて、「仏様の御心(というか、そこへの信心は人それぞれでしょうが、要するに自然の摂理)に従います」ということ。
つまり、お願いごとをするわけではないんですね。
むしろ、逆です。
そして、自己啓発でもスピリチュアルでも、ある境地に達した人たちは妙な抗いを捨てて、素直に流れに身を任せます。
言ってみれば、「南無阿弥陀仏」の感覚と同じなんですね。
なお、法華経のお念仏は「南無妙法蓮華経」ですが、法華経はお釈迦様の言葉を集約した経文なので、それに帰依するということで、スタンスは変わりません。
ところで、昭和の大経営者である土光敏夫さんは、毎朝4時に起きてお経をあげられていました。
土工さんのご実家は岡山(備前)で、法華経。
その様子が、NHKの動画アーカイブに残っています。
わたしにはお経をあげる習慣はありませんが、このところ上記のような「南無阿弥陀仏」の意味をかみしめることが多いんですね。
それで腑に落ちたことがあります。
上記、土光さんの動画の中でインタビュアーが
「いつも仏様に何を頼まれるのですか?」
と尋ねたところ、土光さんは
「何にもないんだ、頼むことは。
今日もようようやりますんで、というだけで。」
と答えられます。
かつて見た時は「そんなものなのかなぁ」と思ったのですが、お念仏の意味が腑に落ちたことで、上記のやりとりがあらためて理解できました。
だからというわけではありませんが、わが家では「OK」の代わりに「ナム」と言うことがあります。
OKサインとチンムドラーが同じ形だからです 😍
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早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け
みんなで行くには進め方が大切ですね 😊
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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世の中に、笑顔のあふれる人を増やしたい、と思っています。