毎日、noteを続け(られ)る理由
脳の勉強がひと段落して以降、特にテーマを設けることなく、その日考えたことをツラツラと書いています。
『当たり前のnoteの書き方』とも言えますが、毎日違ったテーマを思い浮かべるのは、なかなか大変。
ブログ『あるある』ですね 😊
ともあれ、「それでも、毎日続けられるだろう」というのは、30年くらい前に初めてブログを書き始めた時からの感触でした。
いろんなプラットフォームを使ってきたので、切り替え時に途切れることはあっても、一度始めたら3年づつくらいは続けてきました。
なぜなら、わたしは「何も考えずに過ごす1日なんてない」と思っているからです。
もちろん、ものすごく忙しくて、あっという間に時間が過ぎる日もあれば、体調が悪くてボォ〜っとしている日もあります。
そういう意味では、「あんまり頭が働いていない日」はありますが、それでも「まったく何も考えない日」はありません。
それは、『自信』というよりも、『事実』と言った方がいいでしょう。
食べることにたとえると、その感覚は伝わりやすいかもしれません。
『完全断食』のような特別な修行やプログラムを行っている人でなければ、人はたいてい毎日何かを食べています。
これまた、忙しくてほとんど食べる時間がなかったり、体調が悪くて寝込んでいる時もあるでしょうが、ひとまず何かは口にするもの。
※ 貧困の問題は深刻ですが、ここでは一旦除外します
つまり、わたしにとって「まったく何も考えない日はない」というイメージは、「まったく何も食べない日はない」と同じ感覚なのです。
そして、食べるものがあることを有りがたいと思うように、考えられることを有りがたいと思っています。
人は、おおむね言葉によって思考をめぐらしますが、言葉とは全人類の英知の結晶だからです。
誰か一人が発明したものではなく、また特定の時代や地域だけが発達させたものでもありません。
言葉を使うという営みは、読ませてもらった本や記事などから受け取った言葉を、次の誰かにわたす活動です。
少々大げさになりましたが、そんな風に考えると、タスキを持ったまま立ち止まるのは、なんだか申し訳ない気がするわけです。
立派な記録が出せなくても、力一杯い走れなくても、「ほんの少しでもいいから前に進めたい」。
わたしは、そんな風に考えてnoteを書いています 😊