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知恵のねずみ小僧

昨日は、世の中が『直せるモノ』の世界から『直せないモノ』の世界へ移行していることを書きました。
一旦、一般的な感覚で『原理や構造がわからないモノ』が増えてきている現状を指摘したわけですが、それは『まったく誰もわからない』ということではありません。
人数は限られていても、最先端技術を完全に理解し、次世代の技術を発明している人たちもいます。

知識の線引きは困難ですが、その比率はおおよそ富の偏りと近似しているのではないでしょうか。
「世界の富の約半分は、1%の裕福な人間が所有しています」と言われます。
つまり、「世界の最先端技術の扱いは、1%の人によってなされている」
そんな感じではないかと思うのです。


ただし、「そこから先どう感じるか?」は、これまた人それぞれ。
思い浮かぶことを、ざっと箇条書きにしてみても……

・それはよろしくない。知識も平等であるべき。
・身体能力と同じように、個人差があるのは当たり前。
・苦悩する開拓者の恩恵を、わたしたちは受けている。
・能力はまちまちでも、可能性は均等であって欲しい。
・人工知能の発達はそうした関係性をひっくり返すだろう
etc.

いろんな反応が想定できます。


どれかの主張にくみすることは難しいと思いますが、個人的に問題だと感じるのは、『強いものが勝ってしまう』という原理です。
交戦的なグループと和平的なグループがある場合、往々にして主張を通すのは交戦的なグループ。
なぜなら、前者は武器を発達させ、後者は武器を使わないことを好むので、ぶつかると『強いものが勝ってしまう』わけです。
植民地主義時代は、その典型だったとも言えるでしょう。

当たり前と言えば当たり前ではあるものの、なんか切ないんですよね。

つまり、自由競争をする以上、「1%の頭のいい人が、もっとも進んだ知恵を手にいれられる」わけですが、それをばら撒く人がいてもいいなぁ、と。
知恵のねずみ小僧のイメージです。

ただし、Wikipediaによれば虚像だったのだとか。
いたるところに、知があふれている時代です 😊




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