文化と文明の違い
先日、ある方から「これまでは文明中心の社会だったが、これからは文化が大切になる」というお話を聞きました。
とても納得感が高かったので、そのことをわたしなりの解釈で書いてみたいと思います。
敢えて『わたしなりの解釈』としたのは、文化・文明に対して思うところがあるからです。
厳密な定義ではありませんが、技術の伝達において『正しく伝えるのが文明』『間違いを許容するのが文化』だと、わたしは考えています。
再現性と言ってもいいのですが、たとえば『蒸気機関のつくり方』は正しく伝わらなければ機能しません。
明治維新の文明開花は、西洋技術の丸ごとの輸入でした。
一方、伝統芸能のようなものであってさえ、文化は100%の再現性を持ちません。
演じる『人』が違うわけですから、いくら動きをトレースしても、必ず違いが出ます。
そして、その違いにこそ『味わい』があります。
日本の浮世絵に印象派があこがれたように、あるいは棟方志功がゴッホを目指したように。
文化は、『ズレ』の楽しみと言えるでしょう。
物と人の対比で考えてもいいのかも知れません。
機械やコンピューターが得意なのは、再現性の高さです。
それら自体が文明の成果とも言えますが、個体ごとに違った動きをすることは求められません。
逆に、人間に画一的な動きや考え方を求めると、よろしくないことになります。
つまり、今後AI化が進めば進むほど、その対比として人間の『間違い』とその間違いを楽しむ『大らかさ』が着目されていくはずです。
それが、わたしなりに解釈した「これからは文化の時代」という指摘のリアリティー。