愛する努力をサボったことによる代償|【映画】四月になれば彼女は
公開してから気になっていた、
『四月になれば彼女は』をみてきました。
その感想をきょうは、残したいとおもいます。
まずは、映画の内容から。
S T O R Y
さてさて、感想にうつっていきますよ。
ネタバレをしないていどに感想をどばーーっと話します。
すんごく波があるわけではなく、静かに進んでいくストーリー。
個人的に感じたのは、『花束みたいな恋をした』の大人バージョンだな、と。あくまでわたしはだから、不快におもったらごめんなさい。
なんでそう感じたかも、また説明しますね。
でも、いまの自分だからこそ、感じるものがあったのは間違いなくて。
それについて、お話出来たらなって思います。
ここからは、ネタバレも含めて書いていこうと思うので、気になる方はまた映画を観てからきてくださいませ…!
みなさん、よいですか?
弥生と重なる自分
わたし自身がちょこちょこ弥生と重なるところもあって、感情移入するところもあったなあ。
幸せになるのが怖いとか。
なあなあな感じで付き合っている人と結婚する感じになったとか。
その人がいる家に帰りたくなかったとか。
「あれ、わたしかな」ってすこし思ってしまった。
そういう話を藤が聞いて、その後恋人になったのも。流れがいまの恋人との関係に似ていたから。
ぜんぶ一緒ではないけども。
過去の二人を懐かしんで、
求めてしまっていた
弥生が出て行ってしまった理由のひとつとして、付き合うまでにあった二人でのやりとり、過ごした時間や感情が失われてしまったことに対して悲しくもあり、寂しくもあったからなんじゃないかと。
それってすこし、似てるなって思って。
いままでみたいに二人で楽しく
過ごしていきたかった、絹と。
二人で生活していくために
自分を変えていこうとした、麦。
周りの環境の変化や、関わっていく人との間でなにかしらの影響を受けて、変化していく相手に対して、理解をしようとしなかった。知ろうとしなかった。向き合おうとしなかった。過去の相手しかみれていなくて、そこで時が止まったようになっていた。
そこからすれ違って、戻れなかったのが
『花束みたいな恋をした』
元恋人の春からの手紙のおかげで戻れたのが
『四月になれば彼女は』
だと思っています。
伝えること、知ろうとすることを
怠ってはいけない
付き合ってから別れるまでの間、好きだから付き合ってるのだから、好きとか伝えなくてもいいじゃんと釣った魚に餌をやらない的な感じになっている人がいる。
わたしはそれがまじで好きじゃない。
どちらかというと、わたしもそっち側の人間だったけど、恋人に出逢ってからは普段から伝える側に変わったタイプ。
言葉があるんだから、伝えないともったいない。
両想いではあるけど、片想いの気持ちも忘れてはいけないとこの映画を観て感じました。
相手のことを知りたい。
相手にどんな変化があったのか、聞きたい。
二人の思い出を大事にしたい。
付き合うまでにあった新鮮さとは、ちょっと変わってしまうかもしれないけれど、一緒に過ごしていく中で訪れる変化を気づきたいと思う。
相手への興味を忘れてしまうったら、いけない気がする。知らない相手がいることはもちろんあるのだけど、共有したいと思えなくなったら寂しいかな、わたしは。
愛を終わらせない方法、
それは手に入れないことに対しての考え
わたしは、この言葉を聞いたときに思ったことがあります。
手に入れないことではなくて、手に入れた気にならないことが大事なんじゃないかなあって。
自分の彼氏になった。
自分の妻になった。
それを自分のものになったと勘違いしたら、ダメなんだと思う。恋人関係になったって、夫婦になったって、浮気や不倫をする人もいるし。
どちらかがそこに安心しきっていると、関係が破綻していく気がする。どちらかが頑張っているように感じてしまうから。変わっていく2人の関係のすり合わせができていたら、いいのかもしれない。
結局は、タイミング
すべてにおいて、タイミングってほんとに大事だと思う。出逢うタイミングも、別れるタイミングも。
いまのわたしで恋人に出逢ってなかったら、いまのように平和に過ごせることはなかったかもしれない。
二人は結婚する前に気づけて、よかったのかも。離れて気づくこともあるだろうし、相手に向き合えていなかったことやわかってくれるだろうとかの小さな期待の積み重ねと失望が見えたことも。
気づけたあとにどうするかが大事だから。
またお近づきになろうとするお互いの努力が、
これからまた実りますように。
きょうも、おつかれさまです。
またあしたね◎