子どもの自己学習力を呼び覚ます「けテぶれ学習法」とは
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◇「けテぶれ学習法」とはなにか
「けテぶれチャンネル」ということで、今日は改めて「けテぶれ」とは何かという話をしていきたいと思います。
けテぶれ学習法とは、一言で言うと、自分で勉強できるということを目指した学習方法です。大人たちは「自分で勉強しなさい」とよく言いますが、子どもたちは肝心の勉強の仕方については教えてもらっていないですよね。勉強の仕方をこうやるのだよと。
そこで、けテぶれ学習法では、勉強という行為を、計画・テスト・分析・練習という4つのステップに切り分け、サイクルにしています。サイクルなので、練習の後にはまた計画に戻ります。このサイクルを子供たちに手渡すことで、子供たちはこの4つのボタンを順番に押せば、自分の学びを動かすことができるのだと理解できるのです。そうすることで、子供たちは自分で学べるようになっていくのです。
◇「けテぶれ」を渡した瞬間の効果
実践されている先生方もよくこう言います。「けテぶれ」を渡した瞬間、子供たちが走り始める、と。全員ではありませんが、ある程度の割合でそういう子が現れるのです。30人いたらほぼ間違いなく数人は出るでしょう。
子供たちの主体的な学びが大切だと言って、いかに主体的な学びを作ろうかという話はよくありますが、「けテぶれ」的に言うと、やり方さえ教えてあげれば、あとはそこに蓋をしない、ブレーキをかけない、邪魔さえしなければ、子供たちは走っていきます。勉強をどうやるのかということを具体的に手渡してあげることで、子供たちは自分で学べるようになるのです。
◇子供たちは本来自分で学べる
そもそも子供たちは自分で学べるのです。ではなぜ現状、そうなっていないのか。それは学校の文脈では自分の好き勝手な動きをしてはいけないと思っているからです。学校に来たなら自分の好き放題やるのではなく、学校のルールや文化に従うべきだと、子供たちでも当然思っています。そんな子供たちに対して、これさえやれば自分の学びを自由に動かせるよ、と言ってあげたら、「そうなんだ、オーケー」という感じで走り始めます。だから、自己学習力をつけるのではなく、自己学習力を呼び覚ますという話なのです。子供たちは学校文脈の中で自由に学んでいいと思っていないので、自分から自由に学んでいないだけなのです。いいよと言われたらやるのです。(もちろん、全員じゃないですよ!)
◇ 「けテぶれ」という共通言語の重要性
「けテぶれ」なんて言わなくても、自由にどうぞと言うだけで走り始める子というのは当然いて、「けテぶれ」を渡した瞬間に走り始める子というのは、大体そういう子たちである可能性が高いです。「けテぶれ」という言葉がなくても、「自由に勉強していいよ」というだけで走れる子というのも一定数いるのです。では、なぜそこで「けテぶれ」という言葉を出すのかというと、それがないとみんなが同じ土俵に立てないからなのです。
公教育ですから、当然、勉強が苦手な子もいれば、勉強嫌いな子もいます。逆に、塾で詰め込まれまくっている子もいれば、天才的になぜか勉強ができてしまうような子もいる。いろいろな子が混じっているのが公教育であって、そういういろいろな子がいる時に、自由にどうぞとだけ言ってしまうと、結局、センスのいい子や勉強好きな子だけが突っ走って、他の子が置いてけぼりになってしまうのです。
新しい取り組みをした時に、反応のいい子とよく分からない子が出るのは、もちろんしょうがないのですが、そこで「けテぶれ」的な共通言語やキーワード、方法論を共有せずにやってしまうと、突っ走っている子が何をやっているのかが全く分からなくなってしまうのです。分からない子からすると、先生が勉強をご自由にどうぞと言った瞬間、あの子たちは勉強を始めるけれど、自分にはできない、つまり、あの子が勉強できて自分は勉強できないチームなのだと思ってしまうのです。
ある状況に対する反応が自分と他者で違う時、その違いに自分像を見出していくものです。「勉強楽しいよね、自由にいけいけ」みたいな感じだけでやってしまうと、そこに馴染めない 子は逆に「勉強、俺だめだな」みたいな認識も育ててしまうことに気づきたいのです。そこで「けテぶれ」が必要になるのです。
◇ 具体的なやり方の提供と共通言語の効果
「けテぶれ」という共通言語があれば、できる子は何をやっているかというと、「けテぶれ」をやっている、と認識することができます。できない子たちは何をやるべきかというと、「けテぶれ」をやるべきなのです。この具体度というか、解像度の上がり方が大切なのです。ただ自由に好き放題勉強していいよという世界に放り込むだけでなく、その世界での基本的な動き方、自分の勉強の動かし方につい て、ちゃんとレクチャーがある。徹底的に具体的にやり方として示される。ノートを開いて1ページ目の1行目に「け」と書いて、今の気持ちをまず書いてみる。学習に対する見通しをとりあえず立てて、計画を書く。テストは自分で丸をして、できるフリをしない、など、超具体的な作法としての提供が必要なのです。
そしてできる子たちもそこに乗っかってやろうとするので、結局、伸び止まらないというのはこちらなのです。好き放題やりましょうは、最初のうちは水を得た魚のように子供たちが泳ぎ始めるのですが、それはすぐ終わります。「イエーイ、自由だわー」と走り始めるのは本当に一瞬なのです。それは結局、今まで管理されてきた状況の中で息苦しい思いをしてきたところからの解放なので、最初は嬉しいのですが、その大きな学びの大海原を本当に1週間でも2週間でも泳ぐと、しんどくなってくるのです。結局、行けるところにしか行けないし、泳ぐこと自体がしんどくなってきて、勉強が面白くない、大変でしんどいという世界に逆戻りしてしまうのです。
ここに何が足りないかというと、勉強の技術としての向上、技術を向上させるという視点です。今の泳ぎ方ではこういうところが不十分で、こういうところを改善したらもっと深く、もっと遠く泳げるようになるかもしれないという予感や発想が子供たちの中に生まれれば、自分の泳ぎ方を改善して、さらによりよくやってみようというモチベーションになっていくのです。すると、これはもう自由だイエーイの世界ではなくなってくるのです。自分の学び方を研ぎ澄ませる世界に子供たちは行くのです。
その時に、好き放題な勉強を自分で分析するのはなかなか難しい。自分が何をやっているのかということをしっかりと意識することは難しいので、それを「計画・テスト・分析・練習」という4つの枠組みでまず自分の勉強を見ようとなると、自分の計画はどうだったか、テストはどうだったかなと考え始められるのです。勉強の基本はこれだよということが示されるので、できる子供たちも行き詰まった時に、自分は基本はできているのかなと、基本のところから自分の学びを一度振り返ってみようということができるのです。そうなると、結局、できる子たちにとっても学習努力を長続きさせることになるのです。
できる子たちや中間の子たち、できない子たちも結局、自分の学習を「けテぶれ」で見るので、それが共通言語になるのです。「あなたの『けテぶれ』はどうやってるの」とか、「最近『けテぶれ』がうまくいってないんだけど、ちょっと見せて」というふうにノートを見せ合うと、みんなが何をやっているのかが分かるのです。けテぶれという手段を共有することで、それが共通言語となり、「対話的な学び」の土俵となる。
好き放題ぐちゃぐちゃの勉強だったら何をやっているのか分からないので、学習方法の交流はできないのですが、「けテぶれ」だとノート交流が非常に盛り上がるのです。それはなぜかというと、他者のノートで何をやっているのかが分かるからなのです。それが分かるのは、「けテぶれ」という共通言語があって、同じ土俵に立ってその土俵の上で勉強を頑張ろうとしているからなのです。だから「けテぶれ」が公教育の集団に対して学習を指導する環境において非常に効果を発揮するのです。
◇ 早い段階から学び方を学ぶ重要性
あとはよく言われることですが、学び方を学ぶという発想を、いかに小さい時点から持つかということです。早期教育みたいな文脈まではいかなくていいと思うのですが、少なくとも小学校の時点では自分の学び方を意識して、よりよく学ぶという視点を持っておくのは非常に大切だと思うのです。よく言われるのが、この「けテぶれ」を知った方々が、自分も小学校の時にこういうことをやりたかった、そしたら今の自分はもっと素晴らしい自分になっていたような気がするという話をしていただけるのですが、これは本当に大賛成で、僕も本当にそう思っています。
何も考えずに、ただ教師が言っていることを飲み込んでいって、別に飲み込もうともしていないのですが、なんとなく「はいはい」と聞いて、テストもなんかよく分からないけれど、ある日突然、急に単元末テストがやってきて、なんかその時たまたま覚えていた知識だけをそこに注入して、なんとなく点数が返ってくるみたいな、そこに能動的な関与が全くないようなケースが今の日本の小学校現場にはとても多いように思います。
そうではなくて、このように「けテぶれ」的なサイクルで自分を見つめ、自分の学び方を見つめるということを、しかも義務教育ですから国民全員が受けるわけです。そのフィールドで実現していくということは、めちゃくちゃ強力なのではないでしょうか。
よく僕が言う例えは本当に単純ですが、小学校からピアノを習っていましたということと、大人になってからピアノを習い始めましたということで、どちらのほうがピアノが上手いですか。本当にただこれだけの話です。小学校から学び方について考えて自分で学ぼうとしてきましたということと、大人になってその大切さに気づいてそこから勉強し始めましたという人と、どっちの方が勉強が上手ですかという話なのです。もう本当にただそれだけ。技術ですから、スキルですから、こういうことを小学校の頃から練習しておくのが非常に大切なのではないでしょうか。
もう一歩踏み込むと、ピアノが好きという人は、しかも演奏が好きという人は、おそらくピアノができる人なのです。往々にして小さい頃からピアノを習っていたりして、ピアノを弾くという技術がある人は、ピアノが好き、ピアノを演奏するのが好きと言い始める可能性が高いのです。逆に、ピアノを習ったこともないし技術もない人が、ピアノを演奏するのが好きと言い始める確率はなかなか低い気がするのです。これも全く同じで、学ぶことが好きという人は、往々にして学び方を知っている人の可能性があるのです。やり方が分かるから楽しめるのです。
◇ 勉強好きにさせるための2つのアプローチ
勉強好きになって欲しいという思いは非常によく分かります。それに対してコンテンツで魅力を感じさせていく、単元の導入で子供たちをびっくりさせて驚かせてみたいな話ですよね。センス・オブ・ワンダーを刺激してみたいなことをやる。別にあり得るのですが、そうではないアプローチというのも同時にやれるのではないでしょうか。
狭く深く詳しい学びみたいなことを、そういう教科の学習を否定するわけではないのですが、反対側には、やり方ですね。自分で学べるようになるということを実現することによって、勉強が好きと言い始める子たちが出てくるというアプローチもあり得るのです。そしてこれらは別に矛盾しない。こういうアプローチを取りながら、コンテンツの魅力を語る、コンテンツの魅力を提供していくということは、十分可能ですから、その視点さえ持っていれば両輪にできるというわけです。でも今の教育界においてこちらの視点がなかなか足りないので、インストールしていくのはどうですかみたいなことを言っているわけです。
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これらのファイルは公立小学校に限り、職員室や教室での印刷配布が許可されております!
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