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「宿題意味ない」は本当か?宿題という場の重要性
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昨日は、けテぶれとは何かみたいなことを話しました。公教育で学び方を学ぶためのデザインとして、僕はけテぶれを作っているんです。公教育では、できる子もできない子もたくさんいて、そういう子たちが同じ土俵に乗って、それぞれの学び方を探っていくということをするために、けテぶれという共通言語が必要なんです。その共通言語を使って、小さいうちから自分の学び方を見出していく。その「学べる」という状態を作ることが、結局、「勉強が好き」という状態を作ることとつながるんじゃないかな、という話をしてまいりました。
「宿題意味ない」は本当か?
今日は「宿題意味ない」というのは「犬が茶色い」と言っているのと一緒、という話をしていきたいと思います。
これはどういうことかというと、「犬が茶色い」って言ってる人を見ると、「いや、白い犬もいるし、黒い犬もいますよ」って思いますよね。そんな感じで、「宿題意味ない」って言ってる人を見ると、「宿題にもいろんな種類があって、いろんなやり方があるのに、一括りに宿題として括ってしまって、それは意味ないと断罪してしまっていいんですか?」っていうことを違和感としてもつわけです。「宿題意味ない」ということを聞くと。でも、あんまりそういう話にならないのは、結局、世間一般の宿題というのが、いわゆる「宿題」というものがあんまりイメージとしてぶれないんでしょうね。
宿題のステージを簡単に捨てていいのか?
「宿題」って言われたら、どんなことをイメージしますか?おそらく、先生に漢字の書き取りのノートの取り方を指定されて、その書き方通りに毎日毎日ノートを作っていくっていう感じじゃないでしょうか。計算ドリルも一緒ですね。計算ドリルノートの書き方があったりとか。そういう感じで、毎日決まりきったことを、ずっと淡々と続けていく。みたいなのが、宿題のイメージじゃないでしょうか。 多分、みんな「宿題」って言われたら、それをイメージするんですよね。そして、それが意味ないって言ってるんだと思うんです。それについては、全く異論がないんです。そういう宿題は、確かに意味がないと、僕も思います。
でも、それだけで「宿題意味ないから全部捨ててしまえ」まで言っちゃっていいのかな、というのが私の主張なんですね。宿題というステージは、そんなに簡単に捨てていいのでしょうか?
例えば、今後の社会において、家で1人で学ぶというスキルはものすごく大切になってくると思うんですね。今もネットに、学びたい情報、学ぶための情報というのは大量に出てますよね。YouTubeで何か調べたい、身につけたいスキルを1つ検索すれば、もう分かりやすい動画が大量に出てきますし、もうちょっと系統的に学びたかったら、無料の講座とかもたくさん開かれています。ネットを検索すれば、もう学べちゃうんですよね、いろんなことが。という世の中になっているのです。
家で1人で学ぶスキルを身につける重要性
その中において、自分で1人で家で勉強するということを、ちゃんと練習しておくというのはものすごく大切だと思うんですね。ここで「練習」という言葉を使ったのは、つまりは練習が必要なんですよ。
今、学ぼうと思えばいくらでも学べる世の中で、じゃあ子供たちは家でバリバリ自分なりの学びを頼もしく積み上げているかというと、微妙だったりするわけですよね。そこには何が足りないかというと、練習が足りないんですよ。家で1人で学ぶということに関するスキルが高まっていないですし、そのスキルを使用するために必要なマインドセットも育っていないので、いくら勉強ができる環境が整っていても、子供たちは家で1人で学べないという話になるわけですね。
本の読み方も知らなければ、本を読む価値もわからない子を図書館に連れて行っても、本読まないですよね、って話です。周りに「あなたの周りにはこんなに素敵な本があるんだからもったいないよ」って言われても、読み方わかんなかったりとか、読む価値への納得がいってなかったりしたら、読まないですよ、ということが今、子供たちの身の回りに起こっているような可能性があると。
家で1人で勉強するということをちゃんと練習して、その価値をちゃんと理解しておかなければ、今後の世界、いくら学びが溢れようが、いつまで経ってもその学びを受け取ることはできないわけですね。そういう意味で、宿題のフィールドですよね。家で1人で学ぶということをちゃんと練習するという場に変えていくというのはものすごく大切になってくる。ということがお分かりいただけるでしょうか。
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宿題文化を捨て去ることのもったいなさ
さらに言うと、今現在、まだ日本の多くの家庭において、「あんた宿題やったの?」というやり取りがなされていると思うんですよね。街を歩いている親子に「普段のお子さんとのやり取りを十個挙げてください」と聞くと「お風呂入りなさい!」とかと同じレベルで、「宿題やりなさい!」が入る確率ってめちゃくちゃ高いと思いませんか?笑 つまり、それだけ国民の家庭全体に、学校から帰ってきたら学校の宿題やるもんだ、という意識がまだまだ浸透しているわけですよ。
まぁそれももう風前の灯火ですけれども。もう「宿題意味ない」とか声が上がっているので、「学校の宿題なんてやんなくていいんじゃないの」みたいな風潮はもうどんどん広がっているのも事実ですがね…。今はまだなんとか、ある感じがする。この状況はめちゃくちゃ強くて、つまりは、お家に帰ったらお家の人たちが「学校から宿題出てるでしょ、ちゃんとやりなさい」って子供たちに言ってくれる状況が、今、日本全国規模でまだ残ってるんですよね。
このような意識を日本国中どの家庭もある程度の強さで持っている、という状況はものすごく稀有なわけです。考えてみてください。 例えば「瞑想」ってめちゃくちゃいいって言われていますよね。やったらすごくいい。じゃあね、それを今全国のご家庭が「宿題やるべき」って反射的に考えるレベルで、「子どもたちは学校から返ってきたらまず、瞑想をやるべき」って意識を持つ状況を作ろうと思って作れますか?ほとんど不可能なほど難しいですよね。でも、「宿題」に関しては、その意識がある。全国のご家庭で。これ、めちゃくちゃすごいことなんです。
だから、そこでちゃんと子供たちが家で1人で学べるということが練習できるような課題設定がなされていれば、学ぼうと思えばいくらでも学べる社会を自由に泳ぎ回る力を、家庭学習という、より本場に近い環境で練習するという状況を実現することができるのです。
以上のような理由から、私は「宿題意味ない」と言って、宿題文化そのものを否定して捨て去ってしまうというのは、もったいないんじゃないかなと。宿題・家庭学習というフィールドの今後の重要性と、今、全国に広がって浸透している「学校の宿題やるべきだ」という意識、この2つまで全部捨て去ってしまうということになるので、非常にもったいないんじゃないかなと思っているわけです。
◇ けテぶれという提案
じゃあ、捨てずにどうするの?ということで、私が提唱しているのがけテぶれですね。学陽書房の「けテぶれ! 宿題革命」という本を読んでいただけると、この放送でお話したような、自己学習力とか独学力とか、自分自ら学ぶような力をつけるようなフィールドに、宿題を変えていくような提案がなされています。そういうことを行っていくことによって、宿題文化というものを捨てずに、より良いものに昇華していくことができるんじゃないかなと思っておるわけです。
◇ まとめ
はい、というわけで、いかがだったでしょうか。今日は、「宿題意味ない」というのが「犬が茶色い」というのと一緒だ、というところから始まるツイートについての解説ということで放送してみました。これを機会に、宿題の取り組みについて一度立ち止まって考えてみるような機会になればいいな、という風に思っております。
じゃ、今日はこの辺で。さようなら。
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