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読書感想『辺境・近境』

こんにちは。栗原白帆です。村上春樹さんの『辺境・近境』を再読了しました。

この少し前に映画化され、アカデミー賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」が収録された『女のいない男たち』を読み返したら、思考がすっかり村上調になってしまい、そのままの勢いで手に取ってしまったのでした。

村上春樹さんの文章って、読んでいるうちに脳を改造されるような感覚になりませんか?頭の中で考えることが全部村上春樹調になるというか…「やれやれ」なんて、めったに口にしないのに急につぶやいてしまったり。
不思議な文章だなぁ、といつも思います。

今回読み返した『辺境・近境』は1990年から95年の間に村上さんが旅した場所について書かれた旅行記です。もう25年も前になるんですね…やれやれ。年を取るはずです。

旅行記なのでもちろん旅行(取材)の様子について書かれていて、国内の無人島や香川県、メキシコ、モンゴル、アメリカと場所も目的もバラバラな旅が収められています。

情報系の旅行記と圧倒的に違うのは、村上さんの文章を読んでもそこに行きたい気持ちにはならない(少なくとも私は)という点だと思います。

いずれにせよ、長い旅行に出かけるのという行為には、狂気とまではいわずとも、何か理不尽なものが間違いなく潜んでいる。だいたいどうしてそんなしちめんどうなことをしなくてはならないのか?ー略ートラブルが降りかかることもある。いや、「降りかからないこともたまにある」と言ったほうが話は早いかもしれない。ー略ー 旅行とはトラブルのショーケースである。ほんとうに家でスクラブルでもしているほうがはるかにまともなのだ。それがわかっているのに、僕らはついつい旅に出てしまう。目に見えない力に袖を引かれて、ふらふらと崖っぷちにつれていかれるみたいに。そして家に帰ってきて、柔らかい馴染みのソファに腰をおろし、つくづく思う。「ああ、家がいちばんだ」と。そうですね?

平成12年発行6月発行 P237-238

村上さんの旅行はタフでハードで、読んでいるだけでくたくたになってしまうような行程を踏んでいきます。
無人島では真夜中に大量の虫に囲まれるし、メキシコでは一日中大音量のメキシコ音楽にがなり立てられながらバスに乗り続けるし、モンゴルでは鉄の塊としか言いようがないジープでがんがん移動し続けるし、といった具合です。

そしてそれをありのままに文章にしてばっちりな空気感と一緒に伝えてくれる。汗やガソリンの匂いまで伝わってくる文章です。
キャピキャピしたビーチの浮かれた感じとか、行列してでも食べたいおいしいレストランとか、きれいな夜景とか、おしゃれなカフェとか、そういうものは出てきません。ただただ男臭い、タフで浮かれたところのない旅がそこにある。
だから残念ながら、ベストセラー作家の村上さんが旅行に来たからといって、しかもその旅行を文章にしたからといって、その土地の観光客はあまり増えないだろうな、と思います(あくまで個人的にそう思いますが、わかりません。世の中にはいろんな人がいるので)。

しかし、そうであるにもかかわらず(村上さんの旅行がトラブルに満ち満ちたものであるにもかかわらず)、村上さんの旅行記を読んでいると「旅に出たい」と強く思うのです。

飛行機を降りて初めてその国に入った時の空気、匂い、音を感じたくてたまらなくなるのです。
「体験」してみたくなる。

そこでしか味わえないもの、そこでしか遭遇しないトラブル、そこでしか気づけない感情、そこにしかないもの。
どんなに情報化された世界でも情報化できない、私たち自身の「体験」をそこに行って、してみたくなるのです。
それはきっと村上さんの文章があまりにも生々しく、その国の空気感を伝えてくれるからだと思います。
みんなが「いいね!」と思うような、当たり障りのない情報とは違う、村上さんが個人的に体験した「その国、その場所」。他の誰でもない、その人だけのきわめて個人的な体験を書いているから、読んでいると私も旅に出たくなる。

旅に出たいなぁ。
自分の足で、自分の行きたいところを訪れる旅に出たい。

でも世界はあまりに不穏で、暗いニュースばかりですね。
うきうきとスーツケースを取り出せる日はいつになるのか。
旅行記を読んで妄想をふくらませる毎日です。



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