制約の中の自由
自由という言葉はどこまで私たちに幸せにしてくれるのだろうか?
制約は私たちから自由を奪っていくものなのだろうか?
企業に勤める:フリーランスで働く
この2つの選択肢はどちらが幸せになれるのかな?と。また今の企業の制約に違和感を感じて転職したとして、どれくらいその制約が緩和されるのだろう?
ふと、こんな疑問に陥った。
多分答えは出ないんだけど、企業には制約があるおかげで規律が保たれて、比較的安定した報酬得られるし
フリーランスになれば自分のルールで律することができれば自由を手に入れたも同然である。報酬面や税金面で今まで触れたことのないめんどくささに直面するようなデメリットもあるが、会社に縛られること天秤にかければ、許容できる範囲なのかもしれない。
企業の中で自由になることがいかに難しいことか
企業で、という固定概念はよろしくないかもしれませんが一般例という事でご了承ください。フリーの集合体という形の企業も出てきたりしているので。
企業で働く場合、フリーよりも給料や仕事に対する安定感得られるかわりに、出退勤時間、休憩時間が決められていたり、やりたくない仕事もこなさないといけない。
果たしてこれは不自由なのか?
考え方にもよるが視点を変えれば、やりたくない仕事は進めるためのルールが分からないからなのかな?と
また決められたルールがあり、そのルールに対しての疑問や懐疑が不自由さを感じさせていると思う。
だとすれば自分でルールを決める側にまわってしまえば、やりたくない仕事も「自分の仕事」というものに変わるかもしれない。
そのためには企業の今のルール、他企業のビジネスモデルなどをリサーチしてどのよう成り立っているのか?を知ることから始めなくてはいけないが、実はこれめちゃくちゃ楽しい。
いつのまにかその仕事のリーダーになり、チームを牽引する存在になれば、企業の中で自由を得たと言ってもいいのではないかと思ってます。
そして企業から自分の能力頼って仕事を依頼してくれるようになれれば最高かな。
自由=フリーになるはどこか違和感がある
なぜか自由=フリーになるという図が出来ている時代にもすこし疑問を感じていますが、そんなに甘いものでは無いと思うし、ツイッターとか見てると自由を求めるほど24時間パワフルに活動してるイメージある。
麻雀漫画の哲也のバーのママのセリフで、「玄人ってのは楽して儲けようと考えてるくせに、えらく勤勉なんだね。」
って哲也と房州さんにいうシーンを思い出す。
※多分こんな感じのセリフw
自由を得ようとする方が茨の道なことが想像できるセリフだなぁ。
それが自分にできるか?っ考えれば個人的には無理w
ちなみにフリーランスは経験した事ないので分かりませんw
フリー特有のプレッシャーや自由なはずなのに不自由になる部分はなってみないとわからないなぁ。
フリーになった人のブログや書籍で知ることはできるけど、、これ以上はやめときます。
なんともまとまりの無い内容を、ここ最近書いてますが色々自分の中で変わろうとしているものがあって迷走しているのかも。
現状きちんと残しておいて、数年後に見返して、また書こう。
noteに数年後に通知してくれる機能つかんかな?w