究極の勉強法
突然ですが、この写真のものは、何だかわかりますか?
ネジの部分は、多くの人が見たことがあると思います。しかし、もしこれがボルトだったら、どうやって回すでしょうか。
丸いフランジの部分では、工具が引っかからないですよね。頭から出ている、小さい突起をつまみますか?
これは、「スタッドボルト」と言って、こんな風にプレートに溶接して使います。
つまり、このボルト自体は回しません。ここにナットなどのメネジを回し入れます
普段は目にすることは無いと思いますが、身近なところでいろいろ使われています。
例えば鉄骨のビルで、スラブ(床)材として使われる「デッキプレート」と言われる鉄板に溶接して、部品を固定したり、天井から吊るせるようにしたりします。また、自動車板金で凹んだ部分を引き出すための、アンカーとしても使われます。
では、頭の突起は何だったのでしょうか。それは、このボルトを溶接する際、突起部分に溶接電流が集中するため、少ない入熱で済むようになっているのです。
●勉強も材料や道具と同じ
「学校の勉強なんて役に立たない」
こんなことを言っている大人は大勢います。
しかし、勉強で得られるのは、
「知識」という「考えるための道具や材料」
です。手に入れただけで役に立つ道具や材料が、世の中にあるでしょうか。
それらを使いこなすための知識や技術を身につけず、また使う場面があることに取り組まなければ、当然役に立ちません。
まだ世の中の事を知らない子供が
「何の役に立つの?」
と聞くのは分かります。しかし、大人になってまで
「そんなこと学校でも会社でも教わらなかった」
と人のせいにしたり、
「自分はそれを必要とする仕事をしていないから」
と、知る努力から逃げて堂々としている態度は、果たして
「子供が見習うべき大人の姿」
でしょうか。
また、私はどんなことでも、
「知っている事が多い方が、人生が豊かになる!」
という事に気付いてしまいましたので、知らないことや理解できなことがある事に、違和感を感じるようになってしまいました。そして、
「学びたいことがあるのは幸せだ!」
という事にも気付いたので、今はその違和感すら楽しんでいます。
●数学や物理を学ぶ意義
以下の記事でも触れましたが、
自分が得た経験や知識を活用するためには、「抽象化」という思考をするのが大事です。
例えば、以下の記事で「微分方程式」について書きました。
ここで挙げてある、
「バネと錘の系」
と、
「コンデンサとコイル」
の回路の例では、微分方程式がどちらも
a d^2 x/dt^2 = -bx
という形になり、
「"x" が時間的に振動する」
ということが分かりました。これは、
「バネと錘の振動」と「LC回路の電流振動」
という一見全く異なる現象が、
「微分方程式という抽象化された数式の形」
で表現すると、全く同じ理論が適用できる事を示しています。
もっと簡単な例もあります。
この記事では、「文字式」と「方程式」について考えてみましたが、文字式も、
具体的な「数字」から、それを象徴する「文字」に抽象化する
ことで、数値によらない計算の方法を示す事が出来ます。
●数学をさらに抽象化してみる
では、
「数学の方程式をさらに抽象化」
して、我々の思考に役立てられないか考えてみます。
方程式は、分からない数(未知数)を
「とりあえず文字で置く」
ことで、
「計算結果を導く式を立てる」
のでした。つまり、未知な物事の状態を含んだ状態で
「仮説を立てる」
という事をしています。
そして、その仮説を成立させるために、
「未知な物事がどういう状態でなければならないか」
を考えるのが、
「方程式を解く」
という事になります。
例えば、ある仕事をやり遂げるために、自分がどうすべきかを考えるとします。
結果が自分の「行動」と「能力」によって決まるとしたら、
(自分の行動)×(自分の能力)+(現在の進捗)=(得たい結果)
のようになるという仮説を立てます。その上で振り返りを行えば、
「もっと行動を優先すべきなのか」
とか、
「自分がどういう能力を伸ばしていくべきか」
などが見えてきます。
これは、方程式を立てて、それを解く時の思考と共通する部分が大きいと思います。つまり、
「仮説を立てて、その中に含まれる未知の要素を見出し、その中身を明らかにしていく」
という、ビジネスに必要な思考を身につけるのに、非常に有用であると言えます。
●勉強をする意味とは
それでは、
「初めからそのように、いろいろな物事に応用できる形で教育すればいいじゃないか」
という人もいるかも知れません。しかし、人は教えられたことが、すぐできるようになるものでしょうか。
もしそうであれば、誰だって何のプロにでもなれます。そうでないから、人は何度も学んだり、練習したりするのですよね。
そしてその成果は、練習したり学んだりした量に比例して上がるわけではありません。
一つの学びは、ただの「点」でしかありません。学んだらそれを核として、周辺の知識を広げていったりは出来ますが、それでも孤立した一つ一つの知識でしかありません。
しかし、いろいろな事を学び、その核を増やしていったり、周囲の知識を広げる事で、ある時学びの「点」と「点」がつながり、線となります。
そのとき初めて、「わかる」という状態になり、学びの成果が飛躍的に得られるのです(下図)。
何故かは分かりませんが、脳の電気信号を伝達する仕組みを考えると、何となく納得はいきます。すなわち、
脳の神経細胞である「ニューロン」から別のニューロンに電気信号が伝達する事で、我々は思考をしている
わけですが、その仕組みは
ニューロンから出た軸索が伸びて次のニューロンの樹状突起に達し、シナプス間で拡散される神経伝達物質により、信号が伝達される
というふうになっています。
そして、脳における学習成果は、
その伝達のルートができて、スムーズに行われるようになる事
なのだそうです。
勉強に限らず、物事の成果というのは、だいたいそのような形で得られるのでは無いでしょうか。
単純に「労力」や「時間」に比例する
のではなく、
ある時「特異点」に達して、"0" から "1" になる
というのを繰り返しているのだと思います。
特に、勉強の成果についてはそれが顕著で、その感覚を理解する事自体が、勉強をする大きな意義であると私は考えています。それは、いわゆる「アハ体験」を得ることにより、未知の物事に取り組むモチベーションを育む事にもつながります。
●学び続けることに意義がある
そういうわけで、究極の勉強法は、
「続ける事」
です。その先に成果がある事がわかれば、長く続けられるようになります。
だから、初めはすぐ成果が得られそうな、簡単なところから始めるのがいいでしょう。そして、成果が得られる感覚がつかめたら、徐々にレベルアップしていけばいいのです。
学校教育も基本的にそうなっています。
例えば、最初は算数の簡単な「数字の計算」から始まり、中学ではその計算に文字が出てくる。高校でも最初は「式の計算」から始まるが、もう少し複雑な計算が出てくる、という具合です。
そこを飛ばして、大人になってからいきなり抽象化された議論をしようとしても、無理というものです。そして、
「学校で学んだことは役に立たなかった」
という風に文句をつけるわけです。
なにより、謙虚で素直な姿勢がなければ、学びは続きません。それは学生だけでなく、教える側の教育者も、その事を十分わきまえる必要があるのです。