「普通の暮らし」は普通か?
「普通に暮らしたいだけなのに・・・」
「贅沢は言わないから、普通に暮らしたい。」
何らかの災害や、犯罪被害が発生したとき、よく聞かれた言葉でした。
●安全・安心がタダではなくなった
日本は今まで、安全・安心はタダ同然と思われてきました。しかし、平成に入ってから、「地下鉄サリン事件」や「阪神淡路大震災」があり、アメリカでは「同時多発テロ」などがありました。
さらに日本人の価値観を大きく変えたのは、東日本大震災です。
「絶対の安全などない」
「普通の生活がいかに有難いか」
という事が、多くの日本人に刻み込まれた出来事だったのではないかと思います。
再び、世界に目を向けてみると、「イスラミック・ステート」の出現もショッキングな出来事でした。
「テロがいつどこで起こってもおかしくない」
という恐怖感を持った人も、少なくないのではないかと思います。
そして今度の「コロナ禍」です。仕事をする事さえままならなくなりました。
台風や豪雨の被害も、年々拡大しています。おそらく、地球温暖化による気候変動が大きく関係しているものと考えられます。
今や、
「安全・安心がタダで手に入る」
と考えている日本人の方が、少ないのではないかと思います。
●普通の生活の罪を問うたプラスチックゴミ問題
最近、レジ袋が有料化されましたよね。プラスチックゴミによる環境問題が顕在化してきたからです。
10年ほど前、ショッキングな写真が公開されました。ミッドウェー島のところどころに掃き集められたような、プラスチックゴミです。
これは、掃き集められたのではなく、プラスチックゴミを誤って食べた海鳥の死骸でした。そして、世界中の海を漂うプラスチックゴミには、日本語が書いてあるものも多くみられるそうです。
更に、最近何よりショックだったのが、日本が廃プラスチックを大量に中国に輸出していたという事実です。中国がその受け入れを止めた途端、日本でもニュースで大騒ぎになりました。
今や日本で普通に生活をしていて、プラスチックゴミが出ない日は無いほど、当たり前に排出しています。このことが、いかに罪深い事か、思い知らされた感じがしました。
もちろん、そういう商品を提供する企業側の責任は大きいですが、消費者にもそれを選択する自由と責任があります。
●地球温暖化の現状
環境問題としては、地球温暖化も深刻です。先月、極寒の地として知られるシベリアの気温が、38℃を記録したそうです。
2016年のCOP22で採択されたパリ協定では、
「 世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より低く保ち、1.5℃に抑える努力をする 」
とされていますが、極地では温暖化の影響がより顕著です。北極ではすでに、10年で1℃上昇しており、今世紀半ばには4℃上昇するというシナリオもあるそうです。
ちなみに、1880年から2012年の132年間に、地球の平均気温は約0.85℃上昇したと公表されています。地球が温暖化して、その影響が気候変動として表れているのは、間違いないと言えます。
ではその原因とされる、CO2(二酸化炭素)はどうでしょうか。以下のグラフで見てみましょう。
いろいろな説が飛び交っているので、あえてこのグラフしか示しませんが、
・北半球の気温とCO2濃度の上昇時期及び上昇率推移
・上昇開始時期と産業革命以降の石炭消費が増加した時期
が、ほぼ一致している事が言えます。また、地球の平均気温自体も上下はありますが、1900年頃からの上昇率は、明らかに従来と異なるものです。
これは何か相関があると考える方が、自然ではないでしょうか。実際に、この推測を覆す程、説得力のある因果関係が説明出来る原因は、提示されていません。
そして、日本人の年間1人当たりのCO2排出量は約 9t となっており、OECD加盟国35ヶ国の平均である 7.6t を上回っています。温暖化による気候変動の影響は、日本でも猛暑や豪雨などで徐々に表れ始めていますが、一番影響を受けるのは極地に近い地域や、山岳地帯に住む少数民族、南太平洋などの島々の人々です。
日本の温暖化対策への取組が、世界から責められている背景には、こうしたことがあるのです。
●テロはなぜ起こる
日本では、テロなどの犯罪があまり起こらないと思われているようです。しかし、昔から「一揆」という名のテロが起こっていました。
テロや一揆が起こる根源的な理由は、誤解を恐れずに言えば「貧困」です。そして、民族や宗教差別など、何らかの理由で虐げられ、貧しい生活を余儀なくされている人々が、集団で暴力という最終手段に及ぶのです。
日本でテロがほとんど起こらなかったのは、まだ
「今日明日、食べていけない」
という人がほとんどいなかったからです。セーフティーネットが整備され、食べていくための働き口も、仕事を選ばなければあります。ただ、それもコロナ禍の影響次第でどうなるか不透明になってきていますが。
さて、その日本の豊かさは、どのようにして保たれているのでしょうか。国全体が豊かになるためには、外貨を獲得する必要がありますが、日本には、これといった資源はありません。
欧米諸国を見てみると、かつては「未開の地」、いわゆる発展途上国に「開拓」と称して入植や侵攻をして「植民地」とし、その土地の作物や資源を獲得していました。しかし、戦争に負けた日本は、そうした植民地も持っていません。
第二次大戦後の高度経済成長では、日本は海外から原料を輸入し、それを加工した製品を海外に輸出することで、外貨を獲得してきました。そのうち生産を拡大した会社が、海外に工場を持ち始めます。
現地の経済発展にも繋がる平和的な方法ではありますが、これも現代版の「入植」と言えるでしょう。一番顕著に表れているのが、「労使問題」です。
韓国との「徴用工問題」は、記憶に新しいと思います。この問題の主な「論点」は、
「両国で解決済みであるはずだが、個人による慰謝料請求権があるか」
というものでした。しかし、それを別にして「労使問題」に注目すると、日本国内の当時の労働環境から考えても、戦時下で
「奴隷のように働かされた」
というのは十分あり得る話だと思います。
小説ですが、「蟹工船」というのも有名ですよね。そして、これは日本に限った問題ではありません。
「フェアトレードコーヒー」というのは、聞いたことがあるでしょう。世界中で飲まれているコーヒーは、アフリカやブラジルの大規模な農園で生産されます。
その生産者は、やはり奴隷のような生活を強いられていたといいます。そもそも、現在のような農業機械がない当時は、大規模農業は奴隷を雇わないと成り立ちませんでした。
その労働者のおかげで、日本でも手ごろな価格でコーヒーが飲めるようになったわけです。
そうした労働問題を解決するため、コーヒーのメーカや商社が、労務管理を農園の経営者に丸投げするのではなく、生産者に正当な対価を支払い、さらには十分な教育を施した上で生産されているのが、フェアトレードコーヒーです。
日本でも、スターバックスやゼンショーの取組が有名です。もちろん価格は高くなりますが、長期的視点に立つと、結果的に品質の良いコーヒーが、持続的に生産できるという事で、「慈善事業」として行っているだけではありません。
他にも、木綿や紅茶など、例が挙げればキリが無いです。そして最近、日本が輸入するフィリピンバナナについても、問題が取り上げられました。
バナナは、健康のために食べ始めた人も多いと思います。つまり、「日本で普通に生活をする」中で、日常的にこれらの商品を消費している事が、世界のどこかの人々を苦しめている現状が、少なからず存在する可能性があります。
●日本は世界との関係を断ち切ることはできない
私はここで、
「日本はもっと、昔のようにつつましく生きるべきだ」
と主張したいわけではありません。しかし、
これらの事実を知らずに、「正義面して普通の生活を送る事」がいかに罪深いか
ということは、自覚しておく必要があると思います。
日本は世界から見れば、まだまだ安全・安心で、豊かな生活を送る事が出来ています。それは、これらの人々の犠牲の上に成り立っているということです。
このコロナ禍で、経済のグローバル化を見直そうという動きが出てきています。しかし、資源を輸入するしかない、そして労働人口が減少する日本では、現実的な対策ではないでしょう。
そして、もし仮に経済的に自立することが可能だとしても、環境問題は相変わらず世界規模で影響します。物理化学的に、完全に孤立系とならない限り、その影響を回避するのは不可能です。
日本でも、ようやく "SDGs" というキーワードが一般的になって来ましたが、これに取組むには、まず
「我々が今の生活を維持していくには、どのような事が必要で、これまでどんなことが起こったのか」
を深く知るのが第一歩となります。そして、人間の生活を退化させずに、これらの問題を解決に導くには、技術開発が不可欠です。
困難な問題が多いですが、このように
「明確に取り組む課題がある時代に技術者として生きられることは、幸せな事なのかもしれない」
と、ふと考えたりするのです。
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