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「ルビーの指輪」――彼の敗因
寺尾聡の「ルビーの指環」を中学生の頃に聴いて以来、ある仮説を持ちつづけている。
ルビー男の敗因は、
「誕生石ならルビーなの」
という言葉を、文字通りの意味に解釈して、ルビーの指環を贈ったことにある、というものである。
すなわち、未だに頭に渦巻いている「誕生石ならルビーなの」という「あなた」の言葉は、「でも、贈ってほしいのはダイヤモンド(の婚約指輪)なの」と解釈すべきだったのではないだろうか。
しかも、「ルビーの指輪」がリリースされた1981年2月の時代背景を考えると、当時「婚約指輪は給料の3か月分」という無茶な相場が喧伝されていたことも見逃せない。
この辺りの、同じ言葉/文章が、文脈によって異なる意味を持つことを研究対象とする「語用論」という分野もあるらしい。「孤独が好きな俺さ」などと嘯いて、渋い顔で煙草をふかしている場合ではないのである。
誕生石がルビーであるとの事実に言及があったことは間違いないが、この辺りの語用論をまとった女心に気づかなかったことが、ルビー男の敗因であろう。
*参考記事:婚約指輪の実態調査↓↓↓