メンタルモデルで紐解く【私の"痛み"と"願い"】愛なしモデル編
日々過ごす中で、なかなかうまくいかないことや、毎回同じようなことでイライラしたり、失敗したり、なんでこうなるんだろうとか、どうしたら良くなるのかな、という事がありますが、
少し前に記事にした「妻との関係がうまくいかない」
https://www.facebook.com/share/p/pqntmjcy95aeEu36/?mibextid=WC7FNe
でも書いた通り、不都合な現実から自分の内側で何が起こっているのかを内省し感じ、理解することで、現実世界を変えていくというやり方を実践しています。
しかし、、、
その記事を書いてから数ヶ月、まだ自分の中には感じきれていない根っこの部分があり、それによって不都合な現実をこれでもか!と作り出しているのでした。
ここ最近、また妻との関係がギクシャクしていたのですが、自分の内省力だけではどうにもならず、どうにかならないものかとメンタルモデルの由佐美加子さんの動画をみていました。
以前の記事でも書いたのですが、以前の内省で分かったのは、自分には誰かを救いたいという欲求があること、それは幼少期に父親(前)が病気でトラブルを起こし家族から離れてしまい、その無力感から自分の役目は誰かを救う事だと無意識に感じているということでした。
誰かを救えない無力な自分には価値がないと思っており、自分の能力を上げる為に努力をしてきました。決してそれが悪いというわけではなく、そうなのだな、と理解することが大切だという事も学びました。
妻との関係の中で妻が悪いということではない事は今となってはわかるのですが、その時はもういっぱいいっぱいなのです。
妻に対してイライラの理由が何でも次々に思い浮かびますし、際限ないのです。
これではダメだと内省に力を使っても、すぐに外側の現象に意識が向き、内省のはずが他者批判になってしまいます。
まぁ、そんなことがここしばらく続いていたわけです。
それで、このままでは何も変わらないと思い、由佐美加子さんの動画をその気持ちがある状態で改めて見たのでした。(気が進まないのだけれど)
由佐美加子さんはザ・メンタルモデルという内的世界を扱う第一人者なのですが、自分の内的世界が分かれば現実世界も変わっていくという考え方をセッションを通して実践している人です。
由佐さんとある人のセッションを聞いているときにそれは起こりました。
自然と内省が始まったのです。
意識的ではなく無意識的に。
自分は、小学校3年生と4年生の時に担任の先生から個人的に酷い虐待を毎日4〜5時間されていたのですが(詳しい内容は省きます)、その時のことがよみがえってきました。
毎日私が虐待されているのをクラスのみんなや隣のクラスの子、他の先生、もちろん両親も知っているのだけれど、だれも自分を助けてくれない。
教室の外から見ている子、知らん顔して通りすぎる隣のクラスの先生、自分の存在をいないように振る舞うクラスの子達。
もちろん家族は何とかしようとアクションはしてくれましたが、2年間その虐待は終わることなく続き、自分は夢遊病と精神疾患のような状態になっていました。
「あぁ、自分は誰からも助けられないのだな。誰も自分を助けてくれないのだな。」
という、当時の想いがよみがえってきました。
正確にいうと、その時は言葉にできていなかった無意識の気持ちが、大人になった今、内省によって初めて言葉にできて、そしてそれを全身で感じました。
自然と涙が溢れて、小学生だった自分を抱きしめました。
悲しかったね、辛かったね、誰も助けてくれなかったんだね。助けて欲しかったよね、と。
そして、その「自分は誰からも助けられない」という感情が自分の根源的な痛みである事が理解でき、腑に落ちました。
由佐美加子さんが提唱するザ・メンタルモデルは、自分の根っこにある無意識の痛みが"世界はこうなっているのだ"、という世界の前提を作り出し、その世界で自分は生きているという認識、それが自分自身の信念になっているのだ、ということを説きます。
自分の場合は、"この世界は誰も自分を助けてはくれない"ということです。
もちろん、現実世界はそんなことはなく、様々な人が自分を助けてくれて、世界中のいのちが私を養ってくれているのですが…。
ではなぜその信念を頑なに固持するのかというと、そう思い込むことで、あの時と同じ痛みを避けられる、回避できるからだと本能が解釈しているからなんです。
それをメンタルモデルでは「生存本能」といいますが、痛みを避けることが生存につながるという理由です。
原始的なプログラムが生存本能を働かせているわけです。例えで言うと、みんなと同じ事をしないとハブられるから同じ行動をする、などがそれにあたります。
実際には、自分は様々な人たちに助けられて生きているのですが、しかしそれを本心から受け入れてしまうと、"この世界は自分を助けてはくれない"という信念、いわゆる自分のアイデンティティが崩れることになるので、生存本能がそうはさせません。
誰かの助けを形として受け取っても、心から感謝の気持ちが沸かない、湧き起こるのを生存本能が避けている、とも捉えられます。
自分は、誰かに助けを求めることを極力しない(限界になるまで頼めない、相手から来るのを待つ)ので、何でも自分でやってしまうタチなのですが、生存本能的に見ると、助けを求めてしまうと、前提となる世界である"自分は誰からも助けられない"を壊してしまうことになる、という事なのです。
頼むということに物凄く抵抗があり、心の中では理由として、自分のやりたいように出来なくなるとか、人がやると思い通りにいかなくなる、頼んでから断られたら嫌だから、などと色々と正当化します。本当の原因は痛みを再度感じたくないが故に起こるのですが。
そうすると、まわりはこの人は自分1人でやりたい人なんだな、とか、自立心が強いなとか、他者に興味がないんだなとかで、どんどん人が離れていくんです。実際に本当に助けてくれる人が減っていく。自分が痛みを感じるくらいだったら頼まない方がマシ!と思っているからですね。
要するに、生存本能的に痛い事を経験するよりかは、現実世界でそれ以外の様々な苦しみの方がまだよっぽどマシだと思っているんです。
それくらい、生存が掛かっているんです。
そりゃ苦しいですよね。
しかし面白い事に過去の自分を自分自身に投影しているので、自分は他者を助けたいのです。
自分を犠牲にしてでも他者を助けるのです。
むしろ犠牲だと認識していません。
しかし、自分を助けてもらう事は頑なに拒否します。生存本能がそれを許さないので。
自分から進んで助けを求めないのですが、もし自分が助からなかった場合、他者批判か自己批判にむかいます。周りがおかしいとか、自分は助けられる価値のない人間だ、などです。
本当はお互いが助け合う世界が見たいのに、自分にはそれを許さないのです。
人は助けるのに、助けを求める事は許しません。
「生存本能」的には世界は誰も自分を助けてくれないという事になっているからです。
大切なのは、自分自身のいのちが助からない事を求めているのではなくて、生存本能がそれを求めている、と切り離して考えられるかどうかです。
自分自身の本当のいのちが求めているのは、「助け合う世界」なのです。
「受け取ること」も同じです。
メンタルモデルでいう"愛なしモデル"は、自分のことを受け取られない事にとても苦しみを感じます。
自分の事を受け取って貰えないという認知によって、今度は自分が受け取らない側になります。
そして、相手に与えることを拒みます。
受け取って貰えないと苦しいので。
事実は、全ての人にそれぞれの世界があるので、それで良いと言う事です。
自分の中にあるものが受け取れないと相手のことも受け取れなくなっていきます。
自分の中にあるものがあって良い。それを表現して良いと自分に許すことです。
私の、妻に対するイライラの原因も、音楽や農業でうまくいかない(と思っている)のも、過去の人間関係や、仕事上での失敗などなど、全てが自分のメンタルモデル上での出来事であり、理解すればするほど、なぜそうなったのか、面白いように分かってきました。
ここで書くと相当な量になるので割愛しますが、興味ある人は直接聞いてください。
これからも生存本能は出来事に対して反応していくと思うのですが(何十年もそれで生きてきたので)、自分のメンタルモデルを客観的に捉えて、理解したならば、次のステップに行ける感じがします。
メンタルモデル的にいうと自分のモデルは「愛なしモデル」と言われるもので、この世界で自分は愛されない、という世界を前提として生きている部類に当てはまります。
本当の自分を愛するのがとても不器用で、他者に愛を尽くし、愛を貰おうとします。
自分の本当の願いを受け取って愛し、表現していくのが愛なしモデルの使命と言われています。
痛みの裏側には必ず願いがあります。
愛なしモデルの愛されないという痛みの裏側には、自分のありのままを愛する世界、"すべての人"がそうあれる世界、というのが願いとしてあります。
その世界を見てみたいというのが、愛なしモデルの願いです。
そういう世界があるはずだ!という根源的な願いが痛みを生み出すので、願いがなければ痛みもありません。
自分の根本にある本当の痛みを感じ、理解する事で、その願いに繋がれます。
その願いに繋がることは、その世界を作っていくことにもなります。
ちなみに、私には、やはり実現したい世界というものがあります。これが実現可能か不可能かは問題ではなく、それを実現していくために、自分自身の内側を受け入れ、愛し、実行していけるかが鍵となります。本当に自分がやりたいことを100%やる!という事ですね。
愛なしモデルの他には
・ひとりぼっちモデル
痛み:この世界で自分は独りだ、誰とも繋がれない
願い:全てのいのちは繋がっている
・価値なしモデル
痛み:自分には価値がない
願い:いのち存在そのものに価値がある
・欠陥欠損モデル
痛み:自分は何かが欠けている、居場所がない
願い:ありのまま不安であっても良い、すべての人がありのままでそこに居て良い
があります。
詳しくは由佐美加子さんの書籍や動画で見てみてください。
今回、自然に起こった内省で、自分の根源的な痛みに触れ、感じる事ができたお陰で、自分の本当の痛みと願いが分かり、そこに繋がることが出来ました。
今は、生存本能が働こうとした時は、「人に助けてもらっても良いんだよ」「誰かに頼って良いんだよ」と自分に言うようにしています。
自分が助かっても良い存在なんだという事を認識する事で、心が落ち着きます。
またうまくいかない時にあるパターンは、自分のやりたい事を100%やりきっていない時に起こります。これも、自分の内側の願いを受け取り、それを100%表現していくことで変わっていきます。
なぜそれが発動しているのかが分かれば、生存本能に囚われなくて良くなり、自由になれます。
痛みと願いが分かれば、自分の本当にやりたい事が出来るようになっていき、現実化していきます。
でも、まぁ、色々あるので、困った時は由佐さんの動画か本を見るべき!笑
もしメンタルモデルに興味がある方はぜひ動画を見てみてください。自分にピンとくる動画やそうでない動画もあるので複数の動画を観るのをオススメします。
おすすめの書籍もあるのでそちらも。
ここまで長文を読んでくださりありがとうございました!
動画↓
「社長!今日も斬らせていただきます。」
由佐美加子のひも解きセッション
https://youtube.com/@---hd8re?feature=shared
【超神回】人と組織の「痛み」は手放すな!①NVC,メンタルモデル,U理論の第一人者 由佐美加子さん
https://youtu.be/TCyMoBc7Cyk?feature=shared
書籍↓
お金の不安と恐れから自由になる! - 人生が100%変わるパラダイムシフト - (ワニプラス)
https://amzn.asia/aOSRDK0
ザ・メンタルモデル ワークブック: 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト
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無意識がわかれば人生が変わる - 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される - (ワニプラス)
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ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー
https://amzn.asia/d/gSZbFGL
追記
過去に自分の身に起きた不都合な現実、どうしてこうなってしまうのだろうか、という事に関して、これまでは一つずつ理由を当てはめていたのですが、自分の中にある根っこの痛み(信念)に気付いてからは、それぞれの点が線になったような、全ての根本原因が、繋がった感覚になりました。、
これが本当に面白くて、自分の痛みの源に繋がり、視野を覆っていた曇りが取れるような、視野がひらけて、腑に落ちる感覚です。
源の痛みと同時に源の願いに繋がれるので、この世界を自分を含めて肯定的に見ることができるようになり、いのちが生きることを後押しする感覚になる、という感じです。
生存本能は無くなりませんが、生存本能の機能を理解し、まずその抵抗や苦しい気持ちを自分自身で受けとめること。
そうなんだねと、自分自身のありのままの状態を受け止める。抵抗しない事。
抵抗に対して抵抗する(そうであってはならないと考えたり、苦しみや不安を消し去ろうとする)と、さらに生存本能に飲み込まれます。
あるものがあってよい、という状態で自分自身を受容することで、いのちの働きをフラットな状態、万全な状態、優れた状態、柔軟な状態にする事ができます。
私の場合、生存本能が働き始めたら、自分の中にある"自分の事は誰も助けてくれない"という根っこのメンタルモデルを認識し、その時の苦しみや辛さを受容し、自分は助かって良い存在だと言う事を受容する事で、フラットな状態になります。
抵抗や固執、頑固さが無くなり、自分の意志で自由に選択できる状態になったら、助けてもらいたい事、他の人ができることは頼る、お願いする、助けてもらいます。
それでいて自分がやりたいことは自分がやる。
とことんやって良いということも含めて受容するのです。
その時に、「自分がやらなければならない」や「そうあるべき」という認識はありません。
強制、脅迫、義務、責任という感覚がない状態で、自由に自分自身の心身を働かせることができる状態が良い状態とも言えます。
#メンタルモデル #由佐美加子 #内省