「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観て(ネタバレあり)
情けない。ああ、情けない。
なにこれ?俺はジョーカーが観たかったのに。
評価が2分化する理由も何となくわかる。
みんなもジョーカーが観たかったのだろう。
僕は映画評論家でもないなら、普段はそんなに映画を観ないので細かい分析等々はしません。
突っ込まれるだけなので。
ラストが裏切られたという意味では本当にそう。僕自身このラストは予想外だった。
途中まではこれこそがジョーカーの誕生譚なのではないかと思っていた。
「ジョーカー1」で見せた衝動的とはいえ発揮されてしまったアーサーの狂気性。それがこの2でアーサー自身が自覚することによって”ヴィラン”としてのジョーカーになるのではないかと。
ただ、そうはならなかった。
いくらでもアーサーを”ジョーカー”にする事は出来たのにってエンドロールを見ながら考えていた。
脚本・監督の真意が気になるところ。
(どこかで言ったりしてる?)
ただ、映画として面白くなかったのかと言われればそうではない。個人的には退屈な場面もなく観れた。演技や作品の構成としても面白かったと思う。
”ジョーカー”としてでは無く、”ジョーカーになれなかった男”としてだけど。
それにしても今回のアーサーはすごくポエマーだった。やっぱり恋は人をポエマーにするんですかね?
そのウキウキ具合が伝わるかのように歌唱パートもめちゃくちゃ多い。
そして、今回思っていたのはアーサーが割と一般的な感覚を持った人だと言うこと。
というか、レディー・ガガ演じる「リー」に付いていけてないんですよねアーサーが。
(むしろ「リー」がやばいだろ。何だよあいつ)
1から思い返してもアーサーがヴィランらしく何かした事と言えば、衝動に身を任せて5人射殺しただけ。
そして1での番組内からも、そして今回の裁判からも外に出ることが出来た理由は外的要因だ。
ジョーカーらしい頭の良さというのがあまり感じられないというのは引っかかっていた所だったんですよね。
何もしてないというか、受け身なことが多い。緻密さが全然感じられない。だからこそのジョーカーでは無かったんだろうけど。
結局僕らはアーサーに期待をしていたのだろう。作中のジョーカー信者達と同じように、アーサーがジョーカーであると信じて疑わなかった。
その結果がこれ。勝手に祭り上げられたジョーカーという存在の重みにも耐えられず、狂いも出来なかったアーサーこそ1番の被害者だ。
アーカムの住人も、僕らも、一体何を求めていたんでしょうね。
珍しく映画の感想を書き綴ってしまった。
感想というより、気持ちの吐き出しに近いかも知れないけど。
この作品は事前情報を持たずに観て欲しい。なのでまだ映画を観ていないのに、ここまで読んでくれた人は是非このnoteの記憶を消してください。
そして映画を観たらまたこのnoteを見に来てくださいね。多分ここに書いた気持ちがわかると思います…。
それじゃ、またお会いしましょう