批判していい人、ダメな人
売れてるものをバカにする人間は、売れるものを作れない。
これは自分の経験則からも間違いないと確信します。
批判は悪ではない
でも「売れてるからダメ」という批判は悪ですが、「批判」そのものは「悪」ではないと考えています。
「批判」は悪口ではないですし、対象が売れてるか売れてないかも関係なく問題ないです。
ただいくつかの条件、言うなれば「批判する資格」があると考えています。
世の中には、例えばシュートを外したプロサッカー選手に「おい、今のは決めろよ!」と批判しているおじさんがいます。
そういう人に「自分があの場所にいたとして、シュートを決められないくせに批判するのはおかしい」という人もいます。
僕は前者は条件付きで、後者は根本的に、「間違っている」と考えています。
「自分もできるようになってから批判しろ」は危険
なぜかというとこの後者の批判は、批判の権利を「できるできない」という「能力」においているからです。
この理屈だと、もっとも優秀な人間に対しては誰も批判できず、絶対能力主義の世界になってしまいます。
では誰が批判していいのか?
それは「ステークホルダー」つまり関係者や身内、仲間です。
サッカーチームの場合「サポーター」は批判する資格のあるステークホルダーです。
サポーターはひいきのチームや選手を応援するために、チケット代を払い、ユニフォームを買い、スタジアムでビールを買い、ファンクラブの会費を払い、とにかく時間とお金をかける支援者です。
彼らはチームやサッカーに対する愛と、そのために使った時間とお金があります。
だからその気持ちやコストの分、不甲斐ないプレーに対し「批判」したり、逆に素晴らしいプレーに対し「賞賛」する資格があるのです。
事実、ワールドカップ常連国のサポーターたちは皆怖い。
ワールドカップに出場できないなんてことになったら、暴動がおきかねません。
もちろん観る目もしっかりあるから、良いプレーには「賞賛」も惜しみません。
まさに「サポーター」と呼ぶにふさわしい態度だと思います。
批判が芸を育てる
芸能の世界でもスポーツの世界でも、レベルの高い(強い)国やジャンルはファンが厳しい傾向にあります。
下手な芸を見せたら「下手くそ」「ひっこめ!」と言われてしまう。
本人からすれば悔しいでしょうし、「素人に何が分かる」と思うでしょう。
でも本当のファンは批判したからといって、そこで終わりません。
また次の回にも、お金払って来てくれます。
本当に良い芸をするようになったら「よっ!名人!」と素直に賞賛してくれます。
1回のミスで切り捨てるようなことはなく、本当に「客が芸を育てる」「芸が客を育てる」という互いの信頼関係が根底にあるのです。
そこには愛と時間、お金がしっかり循環されているんですよね。
「一方的な批判者」、「フリーライダー」や「ぶら下がり」がいないんです。
批判していい人、ダメな人
ではお金も時間も割いていない人は批判してはいけないのでしょうか?
…これは、どう考えてもダメですよね?
だってお金も時間もかけてないってことは「知らない」わけです。
愛してもいない。
知りもしない、愛してもいないものを批判するのはあまりに「無関係」でしょう。
批判する以上はお金を支払って、その額の範囲で批判すべきです。
でないと「いや、あなたお客さんじゃないし。」と言われて終わり。
あ、もちろんその選手がスポーツ以外でひどい人権発言したとか、そういう部分での批判はまた別ですよ。
あくまでスポーツや作品、芸事といったものへの批判の話です。
何でもありがたがるのは違う。
特に「自分にできるかできないか」という能力でそれを決めるのは非常に危険。
批判はしていいのです。
その上で批判する資格は「かけた時間とお金」だと思うのです。