かなり遅めなじこしょーかい
記事、何書こう。
そう寝床に着くと考えるのが日課となってきた。
今日も考える。そして、ふと気づく。
そういえば自己紹介がまだだった。
実は、入社した会社の内定者企画として1年間弱くらいnoteを書いていた。その流れで個人のアカウントを作り、始めたnoteであったので、すっかり自己紹介が済んでいた気になっていた。
まあ、自己肯定感の低い、エンタメベンチャーに入社した新卒1年目くらいの情報さえ伝わっていれば問題はないが。
とはいえ、承認欲求が高めな僕なので、社会に向けて自己開示をさせていただきたい。もし気が向いたら、何かしらのレスポンスをしてくれるとありがたい。
僕は福岡県北九州市小倉にて生まれ、その後は親の転勤があり兵庫、埼玉、函館と点々とした。その中で実は、文武両道という言葉が似合う青年へと成長してきた。
しかし、幼少期はぜんそくやアトピーなど、幼稚園に半分ほどしか出席できないほどの病弱息子であった。運動会ではダントツのビリになるほど、運動も苦手であった。
小学2年生の頃から陸上競技を始めたことがきっかけで、徐々に運動の才に目覚める。
中学から始めた硬式テニスでは、高校では函館市内で2位、大学では北海道で1位になるなど、着実に成果を残していった。
学力の基礎をつくったのは、小学3年〜6年で通っていた塾にてびっちりしごかれた経験だ。この経験が今の今までの貯金を作っている。
塾での勉強のおかけで、一応中学受験の名門である函館ラ・サールに前期で合格し、それ以降はテスト勉強を特段することもなく、定期試験では毎回1桁を取っていた。
無論、学力的には問題がなかったため、医者になることを見越し、高校1年生のころから医学セミナーや医療体験セミナーに参加していた。
しかし、高校2年生の冬、ある決断をした。
それは医者にならないことである。
決断に踏み切った理由は
「東京ディズニーリゾート」
である。
僕は家族の影響で、0歳から1年も欠かさずパークに足を運んでいる。それくらいの熱狂的なディズニーファンなのだ。
パークの幸せ溢れる空気、そして愛。それに触れるのがとても好きだった。
また、キャストの善意とディズニーに対する愛が作り出している世界の中で、人々が素敵な笑顔に変わっていく。その瞬間を思い浮かべたときに、自分のやりたいことが決まった。
「人々の日常に彩りを増やし、笑顔を作っていく。」
ただ生きている、そんな人々に対し、生きる意味や希望を与えるエッセンスを作り出せればいい、そんな思いのこもった目標であった。
そこで、医者の道を外れ、文系として北海道大学への入学を決めた。
この目標は、就活のときにも継続している。
諸般の理由があり自分に自信が持てない人をサポートしていく企業であったり、サービスやモノで人々の生活を豊かにしているような企業に入りたいと思い、就活をしていた。
結果として、どちらの側面も持ち合わせている現在の会社に就職を決め、今もその手段を手探りで探している状態である。
後半はさらっと流してしまったが、ざっと僕の人生の流れを説明した。
こう見ると、自分のことを簡単にまとめるならば、テニスの上手いディズニーオタクになってしまうかもしれない。
結果、0歳から触れていたディズニーが尾を引いてるのだから、経験効果というのはとても怖いものである。
だって、あのパークのような、誰もが笑顔で、自分が好きになれる瞬間をつくりたいと本気で思っているのだから。