見出し画像

しあわせとは、鼻をくんくんすることである

書き溜めていてnoteに載せてないものをどんどん載せていってみようと思う。

その中で過去に書いたもの読み返してみようと思って、ふと、目に留まったもの。

いまを生きるということについて。

2021年2月の北日本新聞に寄せたコラム


このコラムを書いた時、冬で、2021年コロナ真っ只中、この年は富山県は大雪だった。

昨日のnoteに書いた「まだ離婚したいかどうかもわからなかった時期」っていうのはこの時期で。

何かよくわからないけど、めちゃめちゃ死にたかったなーーーーー!!

ちょくちょく夫婦喧嘩をしてて、その度に突発的に「もう離婚だー!ギャー!」ってなって、

離婚はしたくはなるんだけど、腹で決めてないから口だけの「離婚するする詐欺状態」のとき。
苦しすぎて友達に相談したら「え?離婚していいと思うよ」ってほぼ皆から同じアドバイスもらっていた時期。

以下、若干、直したコラム。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

20代前半の頃だったかと思う。友達Nと、よもやま話をしていたときだ。

「幸せになりたい」と言っていても幸せにはなれない。「ああ、幸せだな」と思う「いま」がずっと続けば、ふと、気が付いた時には、幸せになっているのではないか?

 その結論を見つけ出したNとの喜びを今でも時々思い出す。

あながち間違ってないなと思う。

過去の失敗や未来の不安ばかり考えていたら、いつになっても幸せはやってこない。

今を生きるしかないのだ。
 
今を感じるしかない、よね、
「永遠のいま」よね、とか、

いろんな作品や、人生の先輩との話など、それを何度も反芻する場面に出くわす。

その度にそんなことずっと前から「知ってるよ」と思う。「知ってる」のだが「腑に落ちていない」。腑に落ちていないのか、ただ自分が幸せになることに腹を決められていないのか。

 これは私の中の統計だし、過去の自分に戒めていうんだけど、たいがい強烈に不幸そうな人っていうのは、過去の何かにずっと浸っている。

今この瞬間はあんまり関係ない。
 
 かといって、よくわからない過去や未来に囚われそうになった時、「今」を意識したいのだがうまくできない。

 震災や疫病、目の前の大雪をみると、不安になってどうしようと頭の中がぐるんぐるんする。
 
大雪を目の前にして、今が見えなく袋小路に迷い込んだ今日、ふと、目の前に黄色くて眩しい絵本『はなをくんくん』が飛び込んできた。
 原文のタイトルは『The Happy Day』。訳者はなぜこの邦題を『はなをくんくん』にしたのだろう。ずっと疑問だった。
 
 この本のあらすじはこうだ。熊やその他の動物たちが、長い冬の中、春を待っていて、ちいさな春をみつけてみんなで喜ぶ。

そこに過去はなくて、ただ「今」がある。

今、はなをくんくんしている。

 においをかぐことに集中している。そうすればおのずと今に集中出来る。それってとてつもなくハッピーなことなんだ。
 
 大雪の中、私はじっと春を待っていて。そして、やっと、幸せって今この瞬間なんだなって掴みかけてる。

 今を精一杯生きる、そうそれは「The Happy Day」なんだ。タイトルの理由がやっとわかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

大雪の日だった。死にたくてしょうがなかった日、これを執筆したドトールのにおいも全部覚えている。

しつこいようだけどさ、めちゃめちゃ死にたかった!


でもさ、死にかけのくせにいいこと書いてるなって、

ちゃんと文章書いてるなと思って、

私、やっぱり「やけくそ」でもいいから文章書こうと思った1月2日でした。

いま、めちゃめちゃハッピーなので、記しておく。


受験生の息子1の息抜きに、家族でマリオカート大会をした元旦の次の日。大笑いした。

大人たちは、滑川の千代鶴の新酒を呑みながらやって、
晩御飯は、冷凍ストックの8番餃子を焼いてさ、

とてつもなくしあわせな時間。

いいなと思ったら応援しよう!