しあわせとは、鼻をくんくんすることである
書き溜めていてnoteに載せてないものをどんどん載せていってみようと思う。
その中で過去に書いたもの読み返してみようと思って、ふと、目に留まったもの。
いまを生きるということについて。
このコラムを書いた時、冬で、2021年コロナ真っ只中、この年は富山県は大雪だった。
昨日のnoteに書いた「まだ離婚したいかどうかもわからなかった時期」っていうのはこの時期で。
何かよくわからないけど、めちゃめちゃ死にたかったなーーーーー!!
ちょくちょく夫婦喧嘩をしてて、その度に突発的に「もう離婚だー!ギャー!」ってなって、
離婚はしたくはなるんだけど、腹で決めてないから口だけの「離婚するする詐欺状態」のとき。
苦しすぎて友達に相談したら「え?離婚していいと思うよ」ってほぼ皆から同じアドバイスもらっていた時期。
以下、若干、直したコラム。
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20代前半の頃だったかと思う。友達Nと、よもやま話をしていたときだ。
「幸せになりたい」と言っていても幸せにはなれない。「ああ、幸せだな」と思う「いま」がずっと続けば、ふと、気が付いた時には、幸せになっているのではないか?
その結論を見つけ出したNとの喜びを今でも時々思い出す。
あながち間違ってないなと思う。
過去の失敗や未来の不安ばかり考えていたら、いつになっても幸せはやってこない。
今を生きるしかないのだ。
今を感じるしかない、よね、
「永遠のいま」よね、とか、
いろんな作品や、人生の先輩との話など、それを何度も反芻する場面に出くわす。
その度にそんなことずっと前から「知ってるよ」と思う。「知ってる」のだが「腑に落ちていない」。腑に落ちていないのか、ただ自分が幸せになることに腹を決められていないのか。
これは私の中の統計だし、過去の自分に戒めていうんだけど、たいがい強烈に不幸そうな人っていうのは、過去の何かにずっと浸っている。
今この瞬間はあんまり関係ない。
かといって、よくわからない過去や未来に囚われそうになった時、「今」を意識したいのだがうまくできない。
震災や疫病、目の前の大雪をみると、不安になってどうしようと頭の中がぐるんぐるんする。
大雪を目の前にして、今が見えなく袋小路に迷い込んだ今日、ふと、目の前に黄色くて眩しい絵本『はなをくんくん』が飛び込んできた。
原文のタイトルは『The Happy Day』。訳者はなぜこの邦題を『はなをくんくん』にしたのだろう。ずっと疑問だった。
この本のあらすじはこうだ。熊やその他の動物たちが、長い冬の中、春を待っていて、ちいさな春をみつけてみんなで喜ぶ。
そこに過去はなくて、ただ「今」がある。
今、はなをくんくんしている。
においをかぐことに集中している。そうすればおのずと今に集中出来る。それってとてつもなくハッピーなことなんだ。
大雪の中、私はじっと春を待っていて。そして、やっと、幸せって今この瞬間なんだなって掴みかけてる。
今を精一杯生きる、そうそれは「The Happy Day」なんだ。タイトルの理由がやっとわかった。
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大雪の日だった。死にたくてしょうがなかった日、これを執筆したドトールのにおいも全部覚えている。
しつこいようだけどさ、めちゃめちゃ死にたかった!
でもさ、死にかけのくせにいいこと書いてるなって、
ちゃんと文章書いてるなと思って、
私、やっぱり「やけくそ」でもいいから文章書こうと思った1月2日でした。
いま、めちゃめちゃハッピーなので、記しておく。
受験生の息子1の息抜きに、家族でマリオカート大会をした元旦の次の日。大笑いした。
大人たちは、滑川の千代鶴の新酒を呑みながらやって、
晩御飯は、冷凍ストックの8番餃子を焼いてさ、
とてつもなくしあわせな時間。