冬季型鬱の話。
異常気象が続きすぎて、警戒しまくっている人たちが多いのか(いや、警戒しまくっても、多くても全然いいんだけど)大雪だ大雪だって騒ぐから、ドキドキしてたけど、大して積もらなかった。よかった。
毎年思う。どうか、災害レベルにならず、けど暖冬でもなく、スキー場や山近辺にだけほどよく雪よ、降ってくれって思う。ワガママかな。
雪解け水が山に濾過されるからこそ富山の水は美味しいのだよ。
雪深い県に住んでいると、雪遊びしないと子どもの体力を使う場所がない。屋内でずっとは過ごせない。
大人だってスキーでもして気を紛らわせないと鬱になるよ。
そして、曇ってて寒いってだけで心は疲弊する。
春が早く来てほしい。
富山に帰ってきてから、毎年春が待ち遠しい。
数年前から、ムーミンの気持ちがよーくわかる。
春がきたってだけでムーミンは大はしゃぎして、ムーミン谷を走り回ってみんなに言いまわって大喜びするぐらいの気持ちがわかる。
なんなら私もそれを言ってまわりたいぐらい。
「おーい春が来たぞー!」
18歳から28歳まで、人生の多感な時期に東京に住んで、(2年ぐらいだけ神奈川県民だった)まるで都民みたいな顔で、東京の乾燥した空っ風って沁みてさむいよね♡東京でも冬は寒いんだよ〜⭐︎⭐︎⭐︎とか言ってたけど、富山に戻ってきて、思い知ったね。富山県めっちゃ寒い。雪降ったら輪をかけて寒い。東京はたいして寒くない。
しかも基本的に太平洋側って冬でもめちゃくちゃいいお天気で、空が青くて気持ちいいじゃないですか。
太平洋側、そうね、静岡の人とか、性格も明るい印象(自分調べ。偏見かも)
日本海側って、冬は食べ物なくなるから堅実に生きたくなるのもぜったいある、県民性が真面目なのってきっとそれのせい。
太平洋側だけじゃない。南の暖かい地方は、冬も果物はなるし、野菜もとれるし、なんとかなるさーって踊って歌ってて貯金なくても全然不安にならないのそれは県民性!みたいなを聞いた時、若干、憧れたもん。
東京から戻って来てもう14年も経つのに、まだ、なんでこんなに曇ってるの富山って憂いたくなる。
うつうつうつ。
鉛筆渡されて、はい紙に書いてって言われても書けない漢字、鬱。
「鬱」
鬱だなあって思う。
全部、富山の曇天模様のせいにしたくなる。
初月は寝正月だった。配偶者にせっつかれて、片付けや大掃除はほんの少ししたけれど、とにかくとにかくしんどくて。
まあでも私の配偶者のいいところは、良くも悪くも「気が付かない」「マイペースを崩さない」ってところ。
もし私が逆の立場だったら、うんざりしちゃう。
だって、いつも元気すぎるくらいうるさい人が、急に鬱になって、だんまりして、一日中寝てたら、嫌な気になるもん。またかよ、勘弁してよ、こっちも引っ張られて落ち込むやん、ってなるよ、たぶん。
(ゆくゆくパートナー論みたいなのも絶対どっかに書きたいたいんだけど、)
「察しろ」「空気よめ」って
家族にはいらないと思う。
「親しき仲にも礼儀あり」は大事だと思うけど。
「こうしてほしい。」「これをされたら私は嫌です。」って家族やパートナーに伝えるだけでいいと思うんだよね。
例えば、「ご飯作ったの私なんだから、お皿ぐらい下げてほしい」って思ってるのに言わないで、「なんでお皿ぐらい下げれないの?ご飯作ってくれてありがとうもないし」って勝手に思ってぷんすかしているのってマッジで無意味だと思っていて。
私は↑をやりまくって、離婚したのもあるので、尚更ね。
でもインターネットの海にでるとそれが溢れている。
家族が察してくれないんです。夫がやってくれないんです。って読むたびに思う。
「え、言えばいいやん」
それだけで済むじゃんって思う。
今の配偶者とは、基本的に得意な家事は得意な方がやるけど、それでもやりたくなかったらやらないし、基本的に自分のことは自分でやろう。っていうスタンスなんだよね。楽ちん。
実際、年末に大掃除や片付けせっつかれてもやりたくないって言ったら免除されたし。
こんなこと書いてるけど、しかーーーーし!
「いまは鬱かもしれないです。しんどいです。」は言えなかったな。
それは配偶者に配慮して言えないのではなく、カッコつけたいのでもなく、私自身が私の鬱状態に気が付きたくないのである。
配偶者は、さすがに赤子の昼寝タイムにことごとく一緒にずっと寝ている人の横では「ん?」って思うこともあるらしい。
けど「鬱でしょうか?」って確認はとられない。何故かはわからない。私がぐーぐー寝ていても、マイペースにゲームやYouTubeショート動画などに没頭されている。
まあ、そんな何も聞かれないことに救われたりもするしね。
鬱抜けかけなので、
2000字も饒舌に書けてしまった。
1月8日に、演劇を観に行って、若干、鬱抜けした感じ。まだ少し残ってるね。
まあでも、躁鬱のけはあるんだから、これも私なのだと理解するしかない。
自分で自分を責めてもしょうがないし、逆にそれをオープンに書いてもいいかもしれないと思って書いてみた。
そして、鬱の時に文章を残すことは大事なのである。
躁の時は勝手に書けるけど、鬱の時は歯を食いしばらないと書けないのである。
あとで読み返すと、鬱の時にしか書けないやつ書いてておもろ、すごいや!ってなるから、鬱日記貯金もしておく。大事。