大阪時評②
「大阪のエンゲキが出来るまで。」
3/11以降も劇場は変わらず作品を上演し、私も多くの演劇を観た。いつものように開演間際に席に着き大量のチラシを手に取り、キャストに軽く目を通せば大抵3、4名の劇団員とほぼ同数以上の客演―今に始まったことではないが見慣れた光景だ。「劇団」の数は減っているのだろうか。確かに劇団「員」の数は特に若手になるほど少ないかもしれない。結局小演劇に関わるということは社会的機会を失うリスクと背中合わせだ。公演運営費や事務作業等諸々の負担を主に背負う劇団員は、「上がり」も「その先」も見通せない中で現状維持に明け暮れ、その多くが何時しか消耗していく(特に大阪における非エンタメ劇団は何を拠り所にし、何を目指すのかを明確にするのが困難と言える)。そもそも小演劇のハイリスク・ローリターンという前提に加え、長引く不況の下で育った若い層がそれ以上のリスクを背負うことに躊躇うのは無理もないだろう。いや、リスクを背負ってまで―またはリスクをリスクと感じなくさせる何かが、つまりこの街には夢を駆動するモノが無い(※夢を見ようとしている人にとって)。劇団の旗揚げ自体が少なくなっていると聞く。リスクのより少ない安定した老舗に身を寄せる、または小さなユニットで活動する俳優、フリーの俳優が増えていると聞く。
では大阪で小演劇がどう創られているのだろうか。たとえ劇団主体であっても、上記の要因により半プロデュース公演的な形態と成りその殆どを占めるのは(新作)戯曲絶対中心主義だ―劇団員の不足を補う為に見知ったそこそこ器用なキャストをかき集め、遅々と進まない戯曲の執筆を待ちながら除々に約2、3ヶ月かけて台詞をぶち込み戯曲を忠実に舞台上に立ち上げたところで初日の幕が上がりステージ数は金土日で平均5回、漸くこなれて来たあたりで千秋楽を終えお疲れ様良い公演だったねと皆で楽しくお酒を飲んで打ちあがる―劇作家兼演出家をヒエラルキーの頂点とし俳優を戯曲(物語)に嵌め込んでいくこの構造/過程の無自覚な反復がどうやら、エンゲキを創るということになっている。
だが、この一連のプロセスだけが果たして本当に創作なのだろうか。繰り返しの中で金銭も体力も才能も戯曲のネタも消耗し枯渇していく。実は私たちは創作をしているつもりで創作を「消費」しているだけなのではないだろうか?殆どのプロデュース公演もこのプロセスでさして変化は無い。ただ集められたキャストがただやるだけ、作品について思索/実験/検証し熟成させ進化させる隙間は少なく、大阪の「外」に出す構想も無く単発の打ち上げ花火としてひっそりと終わってゆく(3月のピースピットもDIVE×メイシアタープロデュースも総力を挙げているからこそやはり「もったいない」と感じてしまう。プロデュース公演を単なる一地方都市内での集合離散の場に留めない為には後もう一手が欲しい)。
まとめよう。ただ新作戯曲をオートマティックに立ち上げるプロセスとしての公演を行う(或いはそれを維持する為の)集団としての劇団、それをなぞるだけのプロデュース公演の多さがこの街の演劇をどこか窮屈なものにしている。まず創作のプロセスそのものが一度問い直されてもよいのではないだろうか。
(小劇場と京都をつなぐ、立ち止まるための観劇ガイドブック「とまる。」NO.13 2011年春号 より)