「平均万歳」
匿名劇壇『気持ちいい教育』
5/7(火)~5/8(水) @シアトリカル應典院
作品の冒頭、「極端」な生徒に「平均への回帰」を促す特別隔離教室「イコライズ」の「先生」は「国」に集められた7人の生徒たちに、「これからはゆとりがあって痛みがない気持ちいい教育の時代が来る」と淡々と適当に告げる。それは脱偏差値・個性重視・生きる力を育むという大層なテーゼを掲げたゆとり教育が失敗と見なされた現状に対して、当のゆとり世代であるらしい彼らからの密かな異議申し立てに聞こえもするが(「脱ゆとり教育」のオルタナティヴとして「気持ちいい教育」)、結果この教室で試みられようとしていることはといえば平均化の集団強制-イコライズだというこの倒錯…が意図的なものかはわからないけれど、「国」が用意した隔離教室としての気持ちいい教育とはいまや各先進国で進むフィールグッド・プロジェクトという名の社会設計そのもののように思えるし、「みんな一緒」の空気を良しとするところに半ば強制的に落とし込まれてしまう我が国のお国柄と、取り扱い要注意のレッテルを国家に貼られたに等しい自らの世代を、乾いたユーモア込みの不敵な眼で皮肉っている(ように感じられる)そのデタラメで馬鹿馬鹿しくも軽やかな手つきを目の当たりにして久々に驚嘆していたのだけれど、実はこの教室にはもう一つの目的としてある1人の男子生徒に対するいじめ事件の真相の解明(?)があるらしく、どうやら実際のイコライズ対象は生徒のうち2人だけであることも明らかになり、本当はイコライズに来るはずであり現在は入院しているらしい8人目の女子生徒の身に何が起こったのかも交えたミステリの謎解き的展開が一挙に前景化する終盤以降、ありふれたコミュ障非リア充男子の承認欲求を巡る物語をラブコメ調に展開させていくことに作品のフォーカスは絞られていく(いじめていた側の女子生徒は実はいじめられていた側の男子生徒が好きだった!)。
いわば日常性への回帰ともいうべきこの展開/個の内面への転向こそが今のこの国を形作る感性の一端だとしたり顔でまとめるのは非常に退屈なクリシェであることは疑いようも無く、それさえも世代意識のプレゼンテーションとしての意図的な戦略だとすればある意味見事ですらある。カーテンコールで流れる名も知らぬJ-POPが耳の中を右から左へするすると通り抜けて行く理由をずっと頭の隅で考えていたけれど、そこにはきっと平均化された感情しか感じられなかったからだ…というのもまた、退屈なクリシェ或いはJ-POPを見限ったアラサーの戯言でしかないのだろうし、そもそも幼い頃に学校という空間に足を踏み入れた時点から、空気の読み合いと出る杭をことごとく打っていく日本的集団強制文化という名のイコライズに私たちは放り込まれていたのかもしれない…と改めて思い至らされるという、観る人によっては様々な邪推を楽しませてくれる怪(?)作。(8日観劇)
(京都芸術センター通信 明倫art vol.158 2013年7月号 より)