「若い憂鬱」

劇団サニー『みるきーはわかってくれない』
2/26(木)~28(土) @STAGE+PLUS

 昨年夏から今年初頭にかけて、大阪の小劇場・ウイングフィールドが主催する若手対象の演劇祭(ウイングカップ5)に審査員として参加させて頂いた。貴重な機会になったのは、めっきり腰も重くなり、それなりに評判にでもならない限り見ず知らずの若手(とされている方々)の作品を観ることが無くなっていたからだ。現在の大阪において、主に若手対象のコンペとしてはシアトリカル應典院のspace×dramaが2003年から登竜門的な役割を果たしている。そこでは大阪小劇場界というミニマムなコミュニティで今面白いとされている若手劇団がほぼ毎年、前評判通り優秀劇団に選出されていく。
 ほぼ毎年有望な人材は現れている。問題があるとすれば、現れた彼らが何を選び、何処へ行くかということになる。私が作品で見る限り、若い人たちの多くはとても明るく健全で、元気にやっているように見える。若者の劇場離れも一つの選択肢としてありふれたものになったが、私がこの若い劇団を観た場所も劇場とは銘打っているものの本当に小さく、あべのハルカスの麓にこんな場所があることに少し感動すら覚えた。…そろそろ本題に入ろう。
 作品の舞台はマンションのゴミ捨て場、登場人物は女性のみ。フィールドワークと称して大学時代に好きだった男「あっくん」のゴミ漁りを続ける喪女(ミユキ)。かつてルームシェアをしていた今彼氏持ちの友人は浪費癖があり頻繁にお金を無心してくる。息子が同性愛者だったことにショックを受け新興宗教に嵌って夫にも逃げられたおばさん。よく出来る姉ばかりを贔屓する親に捨てられている、と感じるシネフィルの女子高生はつまらない男と付き合っていたが別れたようで、妊娠検査キットを力任せに踏みつける。ミユキが片思いしていた「あっくん」の部屋にはメイド姿のラブドールがいたが、最近出来たらしい彼女に見つかってゴミ捨て場に破棄される。ラムネと名乗る破棄されたラブドールは唐突に喋りだし自分の元持ち主に恋するミユキや女子高生と束の間の交流を図るが自ら命(空気?)を絶つ(ように私には見える)。ミユキとラブドールはそれぞれの立場は違えども、結果「あっくん」に所有され得ていないことにおいて等しい。ミユキは精神の安定の為に、「あっくん」のゴミ袋に毎週月曜日必ず入っているという食べかけのミルキーをかじるが、そこに性的な隠喩を勝手に読み取るならば、その味はおそらく苦いのだ(精液は苦いらしいから)。オトコたちとの断絶を抱えたオンナたちの集まる場所として、断絶の苦痛を吐き出す場所としてこのゴミ捨て場は設えられている。
 この作品はありふれた閉塞感―どうにもならないどうしようもないどうしていいかわからない―に満ちている。作家はまるで私たちも(は)結局燃えるゴミなのだ、とでも言いたげだ。ただそこに瑞々しさと健全さが宿るのはその語られる範囲の小ささ(自身の為に作品を創るということ)やありがちなショーアップを廃した淡々さ故のようにも思われる。健全な暗さは信用に値する。結局人は自分の周りの小さな範囲のことしか分からない(が、それすらも定かではないしこれから自分がどうなるかなんて誰にもわかるはずは無い)。(28日観劇)

(京都芸術センター通信 明倫art vol.179 2015年4月号 より)



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