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大人になってきましたよ

先月誕生日が来て、60 歳になった。
60年生きてたら勝手になった。
我ながら、おとなになったものだ。

節目はわたしを感慨深くする。

ずっと前、友達と旅先の海岸で、おにぎりとか食べながらふと足元を見て
「わたしたちって還暦になってもこんな(派手な)くつしたを履いているのかな」と話し合った。

履いている。

この間、椎名誠さんの新刊「遺言未満、」を読んだ。
あの椎名さんも70代後半いよいよこういうお年頃なのかと、しみじみした。
その中で、自分は自然葬で海への散骨を希望するという表明があって、似合い過ぎてるので逆にちょっと拍子抜けしてしまった。

わたしは実は以前から、お墓は無用と思いつつ散骨というものには若干疑問を持っていた。
それはなんか自分をストーリー化して演出しているようで気恥ずかしいのと、散骨される場所付近に住む人や元々のそこに在るだろうローカル霊的な存在(神か狸かわからないけど多分ありそう)に対して、他所からドカドカやってきてホネ撒くってどうなん?と感じていたので。

でもこの本の中で、世界の、いろいろな葬いの形や宗教観について読んで、
ぐるっと一周回って自然葬、散骨ありやな。と思った。人類の長い歴史の中で、現在までどれだけの死があったかといえば、生きていた数だけあったわけで、それ考えると昔からご遺体や骨なんてそこらにあって当たり前だったのだ。

子供の頃、従姉妹が亡くなってしばらくしてからそこの家に泊まりにいって、棺桶があった部屋に布団を敷かれて怖くて眠れなかったことを思い出す。「この場所にご遺体があったのだ」ということが単純に怖かった。入院しても多分何人かはこのベッドで・・・と考えるとめっちゃ嫌な感じがした。でもよほどの山の中でない限り、例えば今住んでいる大阪市内の街中なんかでも、過去に数々の合戦や空襲でどれだけのご遺体が横たわっていただろう。もちろん集落があれば高齢者が家で亡くなるのも普通のことだったし。それ考えると、火葬された骨くらい(「くらい」というと失礼か、すみません)どこにあっても自然とさえ思えてきた。個人的には見るのは絶対いやだし日本では無理だけど鳥葬も悪くないなと思ったり・・。

椎名さんと言えば、ずっと前に那覇空港の待合所でお会いしたことがある。隣に座っていた男性とふと目が合ってそれが椎名さんだった。あまりにもあのまんまだったので勝手に知り合いのような気がして思わず「あっお疲れ様です」と言ってしまった。(いつもあちこち東奔西走の取材お疲れ様です、時々コラムや本を読ませていただいてます)という意味だったのだが、それを省いたのでご本人は(この人誰やったかな?とりあえず挨拶しとこ)と思われたのか、戸惑いつつ「お疲れ様です」と頭を下げて来られた。そこで私は(いや知り合いちゃいますねん)と、先ほどの(  )内のことを説明し失礼を詫びた。それからしばらく搭乗時間まで離島の話をしたはずだが勿体無いことに全部忘れてしまった。ただ、感じの良い方だったことは覚えている。
「遺言未満、」では本来の怪しい探検隊のイメージが薄らいで、若い頃の無茶してた自分を「あほだった」と回想するリッパなオジイサンになられていて寂しいような・・・今度こそほんとに「お疲れ様です」と思った。

ところでわたしこの間からシルバー料金で映画を見ている。これはとてもオトクな気分。
ただ切符を見せる時、身分証明書を請求されないのがちょっと残念だ。若く見られたいというよりも、疑われて「ほんまにシルバーやで!」とバーンと証明書を見せたいというだけのこと。この辺はいつまでも成長がない。

ほかに大阪市ではどんな優待があるか調べてみたら、美術館、博物館、動物園は65から無料、大阪メトロの50円乗り放題「敬老パス」は70からでまだまだ長生きしなければ恩恵にあずかれない。その頃にはさらに年齢制限が引き上げられている気がする。ただ、おおなんということでしょう、地域の「老人福祉センター」の利用資格はもうあるのだった。100歳体操、脳トレ、カラオケサークルなどなど・・正直これはまだ全然嬉しくないです・・・

先月のお誕生日には、数年前にすでに60を超えた女性からメールをもらった。
「これから色々これって自分じゃないよね??って現実に出会えるよ、乞うご期待」
うわ〜!そっか、そうなんや〜
呪いのような激励にちょっとわくわくした。

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