国境においての非日常
久しぶりに、「旅行」にまつわるエッセイを。
雅樹さんの記事を拝読して、二昔前に遭遇した出来事を思い出しました。
私自身も、カンボジアには何度か入国したことがあります。
20年近く前でしょうか。バンコクに住んでいた時期があったのですが、仕事ではなくて個人的な事情で渡泰したのです。まあ、「駐妻」とは行かなくても、それに近い立場……といったところでしょうか。
そのときの入国目的が「観光目的」という名目で入国していたため、タイに在留できるのは2ヶ月間が限度。
そのため、家人に労働許可証が下りるまでのつなぎとして、何度か現地のツアーを利用してカンボジアに入国していたのです。
今では事情が異なるかもしれませんが、あの当時、早朝にバンコクを出発してアランヤプラテート(タイ側)-ポイペット(カンボジア)の国境をまたぎ、観光ビザを取得する方法があったのです。
この国境越えは割と人気のルートで、ツアーの費用は当時200B位だったでしょうか。
やはり国境でスタンプを押して貰うまでが一苦労。その数年前に旅行で行った「シンガポール-マレーシアの国境越え」(シンガポールがメインで、ツアーの中にマレーシアのジョホールバル観光が含まれていました)よりも、遥かに待たされたのを覚えています。
上記の記事で雅樹さんも「貧富の格差に愕然とした」と書かれていらっしゃいますが、私が在タイの頃もそうでした。
少し調べてみたところ、カンボジアの内戦が終結したのが1993年。バンコクの街中でも、地雷で吹き飛ばされたのか、チットロム(バンコクの中心部)などで片手や片足を欠損した人が、「おもらい」をして日々の糊口をしのいでいたものです。
その背後には現地のヤクザがついていて、上前を跳ねている……という話も、珍しくありませんでした。
国境のポイペットもそんな荒んだ雰囲気が漂う街でした。国境にあるホテルでは食事が提供されていたものの、私の口にはあまり合わなかった記憶があります。
検問所側を流れる小川が国境線の一部だったと思いますが、側には鉄条網が張り巡らされていて、貧困国であるカンボジアから発展途上にあるタイ側に密入国しようとする人々を、厳しく見張っていました。
それでも、粗末な身形の子供らは鉄条網をかいくぐり、外国人から「お布施」をもらおうと、根気強く密入国を試みていたものです。
そんなある日。
その日、国境の検問所はいつもよりも物々しい雰囲気に包まれていました。いつもは見かけない「戦車」も出動しています。側には、当然兵士の姿が。
国境封鎖。
そんな言葉が、とっさに頭を過ぎりました。私がいかに「平和ボケ」した日本人だとはいえ、外国で戦乱に巻き込まれるのはゴメンです。
今となっては笑い話ですが、あのときは本気で「外国で死ぬかも……」と思いましたね。
国境の査証取得の時間もいつもの倍以上かかり、タイ側の街であるアランヤプラテートを離れたときには、心底安堵したものです。
後でバンコクに戻ってから知ったことですが、この日、カンボジアで「外国人学校」の襲撃事件があったのでした。
日付が違う気もしますし、もしかしたら別の事件かもしれませんが……。
ともあれ、災害などを除き「軍の出動」に遭遇する経験は、そうそうあるものではありません。
文字通り、私にとって「忘れられない旅」の一つになりました。
多分、私達が安全地帯から「戦争」について語っても、それは所詮「机上の空論」にしか過ぎない。
ですが、文字通り外国で「騒乱」に危うく巻き込まれかけた経験は、机上の空論がいかに虚しいものか、教えてくれたのかもしれません。
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