この悔しさ、忘れないでおこう。
26歳、夏。専門学校を卒業して以降、フリーター生活を約6年続けてきて、良かったこと、楽しかったこと、虚しかったこと、悔しかったこと、孤独だったこと、たくさんあった。私はそろそろ新しい一歩を踏み出したいと目論んでいる。
これまでの複雑かつ様々な思いには、大阪から上京して生活環境が変わったことや年齢が上がってきたということ、コロナ渦で時代が大きく変わりつつあるということなど様々なことが要因として含まれる。東京はわざわざ仕事をしに来る場所であって、遊ぶ為だけに用意された場所ではないし、夢を一つ叶えるにも、美しい側面以上に苦悩がつきまとうことを知った。
自分自身が頑張らなければ、周りを認めさせることなんてできないし、周りを認めさせることができなければ仕事なんてずっと来ない。自分を知ってもらうことすらできない。
面白い人と付き合っていても、自分自身が面白くなければ面白くないままで、他者と同化することもできない。ごまかしなど効かないのが東京である。
理不尽なことも多くあった。こうありたいという理想を掲げ続けたが、望む場所へ脚を踏み入れても現実はそう綺麗なものではなかったり、頑張りが認められなかったり、報われなかったり、向いてないことを目指して馬鹿にされたり、人に見つけ出してもらえなかったり、分かり合える人がいなかったり、給料が見合わなかったり、仕事内容はほとんど同じであるのにもかかわらず、正社員とバイトの間に極端な線を引かれたり。おかげで社会の構造を少し理解し、どうすればいいのかという見当がつくようになった。
かといって私は、そういった現実を仕方がないものだと諦めることもしない。欲を捨てることをしないまま月日を経た。
コロナ渦になって、付き合う人の数が減って、会話も笑顔も減って、だけど人付き合いが減った分、無理をすることも減って。時にとても孤独を感じるが、何もかも選ぶ基準は自分にあるのだと知って。逆を言うと、今の現実は全てこれまでの自分の選択が作り出したものだと思えるようになって。
さて、ますます先行きのわからない現実を、どのようにサバイブしようかと今また頭を回転させているところだ。
毎日同じ時間に働き、同じ景色だけを見続けてきた人たちにはない余裕や優しさを、私は確実に持っている。昼間の人気のない車両で悩み続けた時間や、夜中の孤独な散歩道、人種や世代の異なる人々との会話を、自分の嗅覚一つ頼りに渡り歩いてきた。
一貫して言えることは、繰り返しの日々が苦手だということだった。様々な景色に触れられる刺激的な人生でありたい。
見聞を深めるためのこの人生を存分に使うのだ。こうありたいと願う生き方で生きることが認められる社会を存続させるため。一人の人間として、個人の生き方として、怯えないこと、屈しないことが重要であると考える。
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