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私的資本主義の提言

●マイノリティの肩が狭い世界

年末になるといつも振り返りがち。
昨年よりnoteへ乗り換えて定期的に更新をしようと思っていたけれど、なかなかできないなぁと反省。

毎回、言うてる気がする。

気がついたら「新しい機能云々」みたいなメッセージが出てきて焦りました。
現代の時の流れは早すぎますが、私のnoteは夏の夜の晩酌のようにゆるゆるダラダラと続けていきます。
※今は冬ですけど。

さて、今年は色々とありましたが、色々とありすぎて特段、起きた出来事に優劣つけ難い2021年。

なので、最近かなり違和感を感じている資本主義という言葉に対して、素人目線で感じることなどをつらつらとまとめておこうと思いました。
素人なんてへりくだりましたが、一応、私自身も現実的に資本に対してアプローチしようと悪戦苦闘している経営者でもあります。
ただ、学者ではありませんので完全に私の偏った見解であることをご了承ください。

資本主義的思想には賛成

基本的に、私は資本主義的思想に賛成の立場です。

とはいえ捉え方は人それぞれなので「こっちが正しいんだからこれが全て!」などと辣腕を振るって暴れるようなことをするつもりはありません。また、マルクスに喧嘩をふっかけるつもりも毛頭ないです。
そもそも資本主義とは、政治イデオロギーとしての分類から生まれた、いわば言葉でしかありません。

賛成する理由は後述しますが、今回のポイントは…
稼がへんと食うていけへんで
…という現実的な点です。

稼げるヤツは少数派

そうなんです。
稼げるヤツ=資本家たちは少数派なんです。
私のように多数派の凡民には見えない、神々しい世界がヤツら(誰や)には見えているはず。

一般的に少数派をマイノリティと呼び、私の感覚ではありますが、社会的に"少ない側"と分類され、多数決で何事も決める民主主義においてはある意味で"弱者"として様々な声が届きにくい立場であると思っています。
一方で多数派をマジョリティと呼びます。こちらは言葉の通り、集団の中で最も多い集合体を指します。民主主義においては圧倒的に"強者"だと感じています。

さて、これだけの情報でパッと見ると稼げるヤツはマイノリティ=民主主義的な弱者という図式が成り立ちますが、もちろんそんなことはありません。資本家たちはマジョリティの心理や行動を捉えて、上位レイヤーからコントロールするまさに強者です。

資本家の例を挙げましたが、それ以外でも圧倒的に強者であるマイノリティが完全に弱者とされる場面が多々あります。

例えば、コミュニティにおけるイジメ。
子どもたちによるイジメはもちろんながら、社会人になってもそれに関連する嫌がらせのようなことがたくさんありますよね。全てのイジメの始まりが被害者と加害者の関係性だけではないと私は考えています。該当者を取り巻く周辺の傍観者たちによる同調圧力、まさにこれこそが諸悪の根源ではないでしょうか。
しかし、傍観者たちの中でも「イジメは良くない」と考えている方が多数いるはずなのに、同調圧力によってまるでオセロのように周りが黒い駒で埋め尽くされてしまうのです。
そうなると少数派=マイノリティとなり、肩身が狭くなった当人は多数派=マジョリティに組み込まれてしまう。
つまり、本質的に多数対一というイジメの構造を批判し、助けたいと思っているいわゆる"強者"でも一挙に弱者へ鞍替えしてしまう。そんな怖いことがたくさん起きています。

さて、取り上げた事例はあくまでどちらも主観ではありますが、似たような図式が現代社会でもたくさん蔓延っていると思いませんか?

意思決定においての民主主義は完成された仕組みだと思いますが、人々の感情論が強くなってくると意思決定が感情に流されてしまい、本来は正しい意見であってももみ消されてしまうことが多々あります。

マイノリティ側の肩が狭いと感じる所以です。

●マジョリティの理想とする世界

最近、件のウイルス騒ぎによって政治と経済の関係性がかなり一般化されてきたと感じています。

広く国民が政治に興味を持つことは良いことだと思いますが、一方でワイドショーなどの偏ったメディア発信に右往左往している風潮を黙って見過ごしているわけにはいきません。とはいえ、私自身も何が正しいかはわからないので感情論すぎる見解は自重しますが、あまりにもやりすぎ感があることは否めません。

予め断っておきますが、私自身は何らかの政治活動や宗教運動には一切興味がありません。ただ、我が国の最大派閥である意見=マジョリティ≒シルバーデモクラシーには疑問を感じています。

例えば、負担が大きすぎる社会保障や税金関係。
調べれば給与のおおよそ45%近くが国民負担率です。

https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/20210226.html
財務省

言わずもがなですが、この中で自身の年金に充当される分は0%。つまり、年金を貯蓄している感覚で負担している方も多いと思いますがそれは大間違いで、全ての負担は現在のリタイア世代の方の年金に充てられています。
誤解を招かないために申し上げるとそれ自体が悪いわけではありません。我々もリタイアする時がくれば、その時の現役世代に負担していただいた年金を享受できるのですから文句を言うつもりもありません。

ポイントはそこまで負担しているのにも関わらず、今回の騒ぎに対しても現役世代がダメージを被っているという点です。

飲食店の営業停止、企業への賃上げ圧力、国際線の停止などなど、経済を回すべく働く現役世代の稼ぎぶちを削られているのにも関わらず、社会保障は満額(…というかまた負担率は増額)負担。

公平だと大多数の方が信じるメディアは完全にその点に関しては報道せず、さらにこの危機を煽るようなニュースばかり。肝心の政府側も経済に対してはほぼ無策で、ひたすら税金徴収と経済活動抑制のスタンス。

…これ以上書くと完全に愚痴になるのでこの辺りで落ち着きますが、それでもマジョリティ側は声を上げず、ひたすらTVから流れてくる情報を鵜呑みにしていると感じています。
※あくまで主観です!そうじゃない方もたくさんおられると思います。

現状維持で暮らしたい欲望

なんだかよくわからない言葉ですが、多くの方は変化を嫌います。確かに変わることは面倒くさいし、慣れ親しんだ今のスタイルを変えることはストレスです。
シンプルに通勤経路を変えるのも面倒だし、ランチでいつも通っていたお店が休業していた時に新しいお店を探すのも億劫。月が変われば保険証を提示することすら戸惑うのに、更に何かアクションを起こして暮らしを改善するなんて嫌!そんな想いで満たされているのが現代の日本ではないかと感じています。

つまり、人々は少しでも今の暮らしを守りたい。
守りたいから変わりたくない。
変わりたくないから、マイノリティがいくら本質的なことを提言していても現状維持バイアスが働き、脳内が凝り固まってしまっているのではないでしょうか。
※繰り返しますがこれはあくまで主観です!

しかし、変わる=変化と捉えるから面倒であって、変化=進化だと捉えれば一気になんだかワクワクしませんか?
※私だけ…かもしれませんが…
おそらく進化というフレーズにもアレルギー反応を起こす方々も多々いらっしゃるかもしれませんが、人々は知らず知らずの内に進化しています。みなさんが手に持つこの携帯電話も進化の賜物でしょう。掌サイズのPCなんてドラえもんの世界じゃないですか。私はあまり知見はありませんが3Dなんてまさにそうだし、ゲームだって世界中の方々とコミュニケーションがとれるらしいじゃないですか。
まさに未来。すげぇ。

…といったように、緩やかな進化は自然に受け入れているのに、今回のように急激な進化を求められるタイミングでは人間は往々にして弱い生き物なのだ、と自身の経験も踏まえて実感しています。

これは日常生活に限ったことばかりでなく、企業内でも似たような事象が起きています。
※これからの事例は当社や私に関係する企業ではありません。

とある企業で正しいことを提言してきた優秀なマイノリティが、現状維持を望むマジョリティ側の策略で左遷されてしまったようです。
特に目立ったクセもなく、人望も厚いスタッフが提言することは該当企業の未来に対してとても有用でありました。しかし、その提言は現状の経営陣の立場が危うくなると同時に、既存の事業スタイルに大きな変革を伴うことでした。
それに嫌気した権力者たちがその提言をもみ消し、自身の立場を守るためになかったことにしました。

マイノリティ側の戦略でその企業が立ち直ったかどうかはわかりません。しかし、現状維持を望む圧力は凄まじく、あの手この手で規制を守った結果、当該企業は立ち行かなくなったようです。

あくまで特殊な一例かもしれません。
しかし、似たようなことは私たちの身の回りでたくさん起きているのではないでしょうか。
まるで現政権を見ているかのようです。

歪んだ全体最適論は間違いなく全体ではなく部分最適です。
全体最適などという笠を被って、その実、部分最適の究極形態のようなもの。一部の既得権益を守るために、進化を伴うストレスは闇に葬られてしまいます。

本当の意味での全体主義とはどうあるべきなのでしょうか。
現状維持は時には必要なスタンスですが、時には悪になってしまいます。
いかにしてこのアンバランスな体制から抜け出すことができるのか。

ズバリ、冒頭に挙げていた資本主義こそが全体最適にベストな戦略であると私自身は考えています。
次項では私的資本主義の見解について、またもや主観ですがまとめたいと思います。

●資本主義の本懐

本懐て!
重た!
…と思うのですが、まさにこの言葉がバッチリ明快だと思ったので、素人による資本主義に対する本当のお願い話をツラツラと語ります。
※私的な資本主義です。全くアカデミー性はありません。

基本的には性善説

これは間違いないですよね。
資本というある意味で現代社会で生きていくために必要なガソリン(もしくは電気)のようなモノを、自由な活動をヨシとしなければ人々がどのようにして蓄えていけば良いのか路頭に迷ってしまいます。まさか人から奪うわけにはいきませんよね。
性善説ありきで仕組みを作らなければガチガチで動けません。
言い方を変えるならば、規制だらけで経済活動はおろか個人の日常生活における意思決定すら管理監督されてしまうことになります。そのような社会を幸せだと望むのであればまた話は別ですが、自由=幸せと感じる動物的感覚に照らし合わせて見ると決して健康的ではありませんよね。

誰にでもチャンスがある平等な価値観

まさにこれ!ここが最も伝えたい!
私は資本主義ほど平等な仕組みはないと考えています。

一方でブルジョワ主義などと揶揄されることの多い考え方ですが、何も金持ち至上主義ではないのです。

わかりやすく例えるために、我々が営んでいる小売業に照らして考えてみます。
ちなみに資本の定義は学術的には様々な捉え方をされており、言及する際には前提が必要なので、今回は資本とは売上の集合体であるという認識で進めます。

私たち小売業はお客様のインサイト(消費行動のツボ)を満たすための手段として商品を調達してきます。
様々な品物を多様なサプライヤーさんから仕入れさせていただくため、仕入担当者たちは東奔西走、時には海外に出向いて買付を行なってまいります。

彼・彼女たちの頭の中にあるKPIはお客様に満足していただいた時の表情です。
優等生のような発言に捉えられそうですがこれは本質的で、実際に喜んでいただいた価値の対価として売上が生まれます。逆に喜びを提供できなければそれは無価値、売上=0です。

売上を獲得するためにはターゲットである方(ここでは消費者というお客様)に喜んでもらわなければなりません。

そして、喜んでもらうために運営側も担当者も全力で考えて実行しなければなりません。その手段として仕事という生産概念が生まれたのだと思います。
つまり、これは仕事をすることで誰かに喜んでもらって、喜んでもらった分だけ売上=資本が獲得できるシステムなのです。
もっとシンプルに言い換えると、資本主義の根幹を支えるのは仕事という概念です。

少し乱雑なまとめですが、仕事をすることで資本主義というある意味でゲームのような世界に参加するのです。
誰かの喜びを獲得すればポイントとして売上=資本が獲得できます。そのポイントを用いて仲間たちを集い、より多くの喜びを獲得するために突き進む…そんな世界が資本主義だと捉えています。

最初は誰もが自分一人。
一人から始まるから全ての人々にチャンスがあり、努力した分だけ価値をまとえるシンプルな仕組み。しかも面白いのは、努力した量ではなく提供する質で評価されるという点。ここがとても奥深い。

時間をかければ良いモノができるわけではないし、資本を投下すれば良いモノになるわけでもない。
自己本位では価値は生まれにくいし、他人本位では差別化ができずに価値が埋もれやすい。

大切なのは誰かが喜ぶ顔を見るために工夫することなのです。答えは一つではありません。時代感によって、トレンドによって、世界の情勢によって大きく変わりますが、自身の価値観をぶつけて最適解を探すという取り組みは明らかにフラットであると思っています。
努力次第でどうにでもなる。誰かのために何かをすることが自分の糧になる仕組み、これこそが私的資本主義です。

ただし、生まれながらに資本家であったり、その逆の場合を考えると一方的に資本を抱える者が勝ちやすい世界にはなっているので、ある程度のルールやハンディプランは必要です。
ここで初めて上位概念である国家という仕組みが絡んできますが、より平等に戦うフィールドを用意するためには必要だと思っています。
しかし、前述した全体最適の蓋の中に部分最適(=自己欲求)を隠してルールを決めるような方々もいるので、ルールメイカー側はできれば参加して欲しくないなぁというのが個人的な感想です。

富める者が分配する世界

前項は個人的な情緒が大いに入ってしまいましたが、本来の資本主義の本質とは富める者が分配をするという概念が基本のようです。

というのも、我々日本人にはあまり身近ではない寄付という行為が鍵のようです。身近ではないのは私だけかもしれませんが「寄付をしていますか?」と聞くとおそらく「えーっと…」と考える方がほとんどではないでしょうか。
もちろん私も…「えーっと…いつしたかな…コンビニのお釣り銭のアレかな…」となります。

資本主義的思想の本場であるアメリカは驚きの数字です。
なんと90%の方々が「はい、してますけど何か?」というスタンスのようです!
※個人調べ(会話文は想像です)

寄付総額はアメリカのGDPの2%で、日本円にして…な、なんと30兆円!え、どういうこと?っていう数字です。
日本の税収総額は60兆円ですから、なんとその半分が慈善意識による国民の寄付で集まるのです。
これだけ集まるのであれば、日本の税金は半分でいいですよね…と、思わず口が滑ってしまうような数字。

もちろん人口だって経済規模だって違うけれど9割の人々が寄付をしているという事実の時点で、もはやぐうの音も出ない。ただ、金額を競う話ではないので細かい点は気にせず話を進めますが、そもそも資本主義とは余剰の論理で回っています。
余剰とは読んで字の如く、余ったお金です。

資本主義は余剰に隷属するなんて偉い方々が仰っておりましたが、これはその通りで余剰価値(=利益)を生み出すことで企業経営は安定します。雇用を創出し、顧客はもちろんながら被雇用者や株主に還元し、税を納める。このサイクルがなければ資本主義は成り立ちません。
大切な思想は余剰をどうするのかということです。

資本主義の鉄則として、余剰は還流すべきなのです。
なぜなら余剰を溜め込む=価値を溜め込むわけですから、市場に余剰価値が生まれず、完全競争の原理から価格競争に転じてしまいます。価格競争とは言い方を変えるならば値下げ合戦、つまり、価格を下げて余剰を圧迫することで価値を下げて提供する行為です。

難しい言葉になってしまいましたが、要するに儲けたらちゃんと還元せぇよということです。

欧米もしくは中国、その他の先進国は日本企業の雇われ社長なんて飛び越えて、ファウンダーや株主はビックリするぐらい所得が高いです。カルロス・ゴーンさんの事件で目にしたような数字なんてむしろ低い。それだけ資本が有り余った人々は、思想にもよりますが確実に寄付をしているようです。というか、自分で使いきれないぐらいの金額ですから、市場に還元してよりサイクルを大きくしようとするのです。

ちなみにビル・ゲイツさんって個人で2兆円ぐらい寄付しているらしいです…
マジかよ…
ちょっとちょーだ¥☆♪¥〒×…


余剰に対する考え方を整理すると、日本ならば社会保障や税金に還元して国が分配する、アメリカを例に挙げるならば個人や企業などの資本家が寄付を行なってそれぞれが分配する、といったところでしょうか。

だからこそ、アメリカは自助努力に対するマインドがとても強いと感じています。あくまで一部の方々かもしれませんが、自らの努力で価値を生み出して自ずと市場の一部になろうとする流れが強いため、経済も強くなってきているのだと考えています。変化に対しても寛容で、むしろ変化=進化という思想で人々が競い合っているイメージです。

また、競争で敗れた人々に対してのサポートも余剰によって手厚い気がします。何度でもチャレンジできる風土は羨ましいとすら感じます。とはいえ、競争原理に乗らない、もしくは諦めた方々に対しては冷たいイメージです。その辺りは日本の方が手厚いので恵まれた国に生まれているなという実感はあります。
※あくまでも知人や小さな個人的経験からのイメージです。

しかし、日本は自助努力に対するイメージがあまり良くありません。
・頑張ってるヤツ
 →頑張っ"ちゃってる"ヤツ=批判の対象
・張り切るヤツ
 →張り切っ"ちゃってる"ヤツ=批判の対象
などなど、一億総底流社会になりそうなマインドをそこかしこに見受けます。
今回のウイルス騒動に関しても、補償は欲しいが仕事はしたくない、家にいれるならば家にいたい、感染対策にかまけて経済活動を自ら放棄したいような風潮が見え隠れしました。

企業や仕事内容によっては個人的な感情はそれぞれあるのかもしれませんが、誰かの負債は誰かの所得であり、また誰かの所得は誰かの負債なのだと捉えれば、家に篭って何もしないわけにはいきません。
つまり、血液のようにお金を回していかなければどこかで詰まってしまい、キチンとした栄養(ここでは自由ややり甲斐などを指します)が必要な臓器に行き届かない。そうして少しずつ蝕まれていって最後には生きる気力すら薄れてしまう。
そんな恐ろしい世界に少しずつなってしまうような怖さを私自身はここ数年、感じてしまいました。

努力して富めるようになれた者を努力していない者が一方的に批判するムードによって、分配するという思想を壊し、努力せずとも楽しい暮らしがしたいという根本的な欲望が脈々と湧き出て、悪循環のサイクルに陥ってはいませんでしょうか。しかも、なまじ楽な暮らしが達成されがちなこの国において、その暮らしが叶わないと努力せずにただひたすらに救済を望むだけの声が特にSNS上で流れてきます。

しかも、それが個人レベルではなく、国家レベルで起きているから殊更に恐ろしいのです。
平等が大事というイデオロギーは実は平等ではありません
みんなが等しく稼がなければ、みんなが等しく貧しくなるのです。

為政者は真の意味での全体最適を目指してください。

一部のマジョリティの方々は、自身が努力をしないのであれば、頑張っている方々の足を引っ張らないでください。
努力をしなければ評価は生まれません。
稼がへんと食うていけへんで!
※前述した個人の環境に応じる保障やルールは必要だと思います。

そして、頑張っている方々はその姿を堂々と見せてください。あなたたちが前に進むエネルギーは社会を動かす原動力になります。そうして稼いだ余剰を分配し、この国の全ての人々が生き甲斐を持てる世界にしていきましょう。

願わくば私もその一員になりたい。

●豊かな世界になるために

めちゃくちゃ長くなってしまいましたが、年末らしく意識の整理ができたと思います。
完全に自己満足です。

書きながら思うのは、本当に世の中を豊かにしたいんだなと微力かつ矮小な私でも感じているのかとハッとしました。

豊かな世界なんてお花畑のような戯言かもしれません。今こうしている内にも格差は広がり、苦しんでいる人がいても日本という安全な国にいる間は気付くことができません。
しかしいつの日か、日本がそのような国になる可能性はゼロではありません。

昨今の情勢を見て、肌に強く感じています。

自分の手の届く範囲は豊かであって欲しい

私サイズであればこれぐらいがちょうど良いです。
というか、この"手の届く範囲"ですら満たせていないのでそれが今後の課題になると思います。

いつも自分ごとのように仕事と向き合ってくれている会社のスタッフたちを豊かにしたい。
そのために仕事を通じてお客様が豊かになる暮らしをいつも模索しています。

金銭的にはどこまでいっても満足は生まれないとは思いますが、頑張った分がしっかりと評価される会社にしたい。
やり甲斐を持って、より一層気持ちが明るくなるような組織にしていきたい。

▶︎ 基本的には性善説
▶︎ 誰にでもチャンスがある
▶︎ 利益が出たら可能な限り分配する
▶︎ 努力する者が称賛される空気
▶︎ 自助努力を助け合う精神

この5つが達成されればきっと豊かさへ一歩踏み出せるはず。

そう信じて激動の2022年も楽しく生き抜くぞ!

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