子育てから学べよ大人たち
●子どもの得意技は親の観察
最近…いや、最近というよりもこれはずーっと気付いていたことですが、娘が極度の面倒くさがりです。
手を洗う、着替える、ご飯を食べる、休日に外へ出る…などなど、テキストで並べるといかにも子どもらしいことではあるけれど、これは完全にアレだわ、アレだなと思っています。
そう、まさに自分の生き写しかのような振る舞いなのです。
手を洗う時は蛇口から流れるチョロチョロとした水に指先をチョッとつけて、ズボンでパンパンッ!と濡れた指を拭く。指だけ。
…保育園の先生に怒られろっ。
パジャマを脱ぐところまでしか意識が追いつかず、ズボンを履く+Tシャツを着るという足し算ができず、引き算ばかりして"ゼロ"の状態で立っている。
※正確には、パンツは履いているので"1"ぐらいです。
食事の時間は何よりも大切な休憩時間。
どこかで教わったからなのか過度に会話せず(これは弊害だ)、箸休めならぬ身体休めの機会として全力で脱力してる。おいおい、せめて食べてからにしやがれ。
休日、遠出以外のお出かけは基本的に面倒くさい。
まだ小さい弟が「ちょっと(公園とか)いこうぜ」的な顔をして見てきても、冒頭に挙げた"まず着替える"という壁を越えられていないためにどこからどう見ても億劫な表情、空気を出してきやがる。
でも旅行は大好き。平成OLかよ。
他にもたくさん事例はありますが、まさに子どもは親自身であると言えます。
DNAの遺伝影響は80%程度あるとよく目にしますが、どうやら身体的な特徴のみならず性格(=パーソナリティ)までもが似るようです。
ちょっと前に読んだ橘玲(タチバナ アキラ)さんの本に書いてありました。
※子育て関連の内容ではないのですが、人のパーソナリティを分析するための知見が具体例や研究例を添えて論理的に言語化されているのでオススメです。
引用にあるようにパーソナリティの遺伝率は50%なのでさほど多くないように感じます。しかし、子どもたちは親が日常的にとる無意識の行動をしっかり観察していて、それが彼女たちの言動ベースになっていることは想像に難くありません。
親と同じ家庭=環境で育てばしっかり似てくるのはこのためなんでしょう。言動だけでなく食生活や思想なんかもそうで、親たちは普段の使う言葉や食べるモノ、食べ方や喋り方などにも気を配った方が良さそうです。
我が家は父である私自身がイマイチなので(すぐ怒る、仕事ばかりしてる、口調が無意識に強い、神経質etc...クソ親父やん…w)、自ら綴りながらとても強い危機感を感じています。
頑張らねば。。。
●友達とのコミュニケーションが気になる
似ているからと言えど、もちろん全く同じではありません。あくまで家族および同じ生活グループの枠の中にいるだけで、違う個性を持った1人の人間だというのが私の見解です。
我が家の娘も今年から小学生。
年が明けてから「わたしは小学生になるのだ」ということが現実味を帯び出していて、不安と希望で心がごった煮になっている彼女の気持ちが一緒に過ごしていてよくわかります。
ちなみに"小学生になること"についての気にしているランキングは…
…いやいや、1位と2位よ!
わかるけど!イヤやけど!
それは慣れるしかねぇ!
親としてズバリ気になるのは3位にある友人関係。
心許せる友達がいて、毎日、元気で楽しく学校に通ってくれたら勉強なんてそっちのけでよろしい。せめて礼節の習慣さえ身につけばそれで十分だと思っています。
幸いにもお世話になっている今の保育園では、良き友人たちや先生方に恵まれて楽しく通い続けることができました。だからこそ余計に不安なマインドパターンに陥ってしまっているのでしょう。
「なんとかなるさ!」
と、大人になった親たちは何とでも前向きなことを言えるのですが、子どもからしたら未体験ゾーン。幼児期と違ってある程度の分別がついた今の時期だからこその悩みは、逆に大人だからこそわからないもの。
いくら自分の子どもが自身のパーソナリティの生き写しだとしても、これだけは本人たちが人生の経験値を積むしかない。
ここで難しいのは親の立場です。
子どもたちは自らの人生の物語を生きる主人公として社会に放たれます。
保育園に登園する前は不安になるし、小学校、中学校、高校、大学、就職…などなど、これから常に新しい環境に身を投じていくのだから不安になるのが通常の反応です。
親がいつまでも子の未来を憂いていては、当人の成長を妨げることになりかねないと考えています。
とはいえ、良き相談相手でいたいというのも親ならではの願望です。
親としてのフェーズ2がまさに始まろうとしています。
●善悪よりも快不快思想
良き相談相手になるためには、きっと普段からのコミュニケーションが大切なんだと思います。幼少期の悩みはシンプルなので、大人は応えやすいはず。
とはいっても、安易に応えを返してしまうと将来の人格形成に大きな課題を抱えかねない気がしています。
現代では、我々の理解が追いつかないことが当たり前に起きています。TVメディアによる偏向報道もSNSでの炎上騒ぎも、常に誰かが誰かを監視/罵倒するような環境が日常茶飯事です。
そんな過酷な現実に我が子たちが入っていくのか…と思うと気になるのは仕方がない。子どもは勝手に育つものではありますが、できれば上記に挙げたような価値観に毒されないでいて欲しい。
それもまさに親心のようなものです。
良き相談相手というポジショニングにおいて私が最も大切にしたいことは、勧善懲悪ではなく快不快思考です。
※あくまで個人的見解です。
つまり「誰が善で誰が悪なのか」を気にしないこと。
善悪を徹底的に分断するクセが染み付いてしまったのが現代社会の実態です。
倫理的に明らかな悪は置いておいて、多くの場合は見る角度や立場によって善悪の定義は変わります。俯瞰して見たらどちらの意見も筋は通っているような、いわゆる答えの出ない矛盾を受け止める価値観を親としては持っておきたい。
そして、そんな矛盾を包み込んだコミュニケーションができるようになることにより、社会で他者を攻撃するような人格にならないのではないかと考えています。
そんな価値観を形成するための方法論として、みんなの心地良さを追求する思想が大切だと私は考えています。
もちろん関わる人間全てが心地良いといったような楽園は現実ではあり得ません。
しかし、少なくとも「心地良いこと」の中に「他者を攻撃する」ということはないはずです。人を殴れば自分も痛いんです。殴る側も殴られる側も痛いんだから、そんな不毛なことは直ちにやめて一呼吸置きましょう。
とはいえ、一方的にやられっぱなしも悔しいです。そんな時は思いっきりやり返してやって、痛み分けをもって和解しましょう。肩を組んで笑えるようになれば勝ちだと思います。
※完全に個人の見解です。
これから、当事者以外の第三者から見ても判断が難しい善悪の境目に立つことが多くなりそうです。
そんな時こそ、自身はもちろんながら関わり合う友人やその他の人々にとって、本心から心地良いと信じれる選択をとれるような人間になって欲しいものです。
●我が振り直せ
ここまで色々と書いてきましたが、振り返ると子どものみならず大人にとっても必要な考え方なのではないでしょうか。
生きてきた年数が少しだけ長いだけで、本質的には子どもと何も変わりません。
過去に自身がとってきた言動をおさらいしてみると、親として胸を張って言えるようなことは何もありません。
ただ、社会に出て荒波を経験しているからこそ、この現実の波の乗り方ぐらいは多少理解しているつもりです。
これからどんなビッグウェーブがあるかわかりませんが、どんな時でも心地良さを追求していきたいと思います。
子どもたちとこうして一緒の時間を過ごせるのも今だけ。…というか、もうすでに手を離れるカウントダウンは始まっています。
親離れより子離れがちゃんとできるように、親としても頑張っていこうと決意しました。
毎日が勉強です。
会社も今日から35期目。
しっかりビッグウェーブを作れるように頑張るぞ!