買物は世界を救う…というお話
●買物をする時の基本的な姿勢
突然ですが、どんな時にお買物をするのでしょうか。
とても難しいことを題材にしてしまいましたが、あくまで主観で全て進めていきたいと思います(笑)。
さて、買物へ向かう姿勢についてはどのようなカテゴリーの商品かによって差異はありますが、細かく分類すれば様々なモチベーションがあるかと思います。
が、それらを書き出せばキリがないので少し乱暴にまとめると、
この2つなんじゃないかなと思っています。
実際、お買物(=購買)は消費行動であるため、消費する何かと等価交換の関係性にあります。この場合では現金などの資産、もしくは信用と引き換えにモノを手に入れるという構図になりますよね。
簡単に言い換えると
・必要だから買う
・欲しいから買う
のどちらかです。
※"必要"も"欲しい"に包含されなくもないですが、ここでは"なければ生活ができない(しにくい)"という観点から"必要"と"欲しい"を分けました。
要するに、ないと困るモノ(日用品など)を買う行為と、なくても困らないモノ(ブランド品など)を買う行為は同じように見えても考え方は違うということ。
すなわち、必需品と嗜好品の違いです。
日用品などの必需品はコモディティと表現され、マーケットでは用途、品質、価格などで差別化されています。
●進化する買物モチベーション
今となっては過去の話題ですが、かつての経済成長を経て金銭的に豊かになった日本は、世界から見ても活発な消費行動を行う先進国としてのポジションを確立しました。
そして1985年のプラザ合意以降、為替の安定化と共に欧米から輸入品が市場にドンドン投入され、日本国内の全ての資産が高騰し、バブル崩壊までは名実ともに"高い国"の代名詞となりました。
※今となっては逆に"安い国"として認識されてしまい残念ではありますが、この国の中で生きている上ではとても住みやすい環境ではないか、と私は思っています。
お買物もその成長に応じて性質が少しずつ進化してきたように思います。足りないから買おう!というような声はもちろんあるものの、欲しいから買おう!という声の方が目立つようになりました。
1980年代以降は一般向けにパソコンが販売されるようになったり、コンビニが街中に増えてきたり、暮らしの質をより良くしようというニーズを企業が受け取ってビジネスにしてきたようです。私たちが今、使っている便利なモノたちはこの時代に生まれてきたのかと思うとなんだか嬉しい気持ちになります(私は1980年代に生まれています)。
それらを踏まえて冒頭の分類をアップデートさせると、
このように嗜好品の分類が増えました。
※繰り返しますがあくまで主観です(笑)。
※円の大きさはマーケット規模ではありません。
一般的には必需品(=日用品:コモディティ)の市場規模の方が大きいという認識ですが、日本では平成以後、嗜好品(=ブランド品など)もとてつもない勢いで成長してきました。
ファッションでいえばDCブームに代表されるような令和まで継続している強力なブランドもあれば、有象無象にキャラクター性のあるブランドが生まれては消えていきました。
所得格差が叫ばれる日本とはいえ、大多数の国民がこの"ブランド"と呼ばれるモノを所有していた、もしくは今も所有しているのではないでしょうか。なんだかんだ言って、日本はとても豊かな国だといつも思っています。
さて、必需品を手に入れるために働いていた国民たちは、いつしか自身の感情を満たすための嗜好品に魅了されていきました。なくても困らないモノにこそお金や情熱を傾けるようになったのです。
私は、このような自尊心を高める行動が自然発生的に生まれてきたのはとても良いことだと認識しています。
あくまでも「ブランドを持つことが良い」とか「お金をいっぱい使うことがカッコいい」とかいうわけではなく、自身が心地良いと感じる情緒に投資することが素晴らしいと思っています。
なぜならば、自尊心が高まるからこそ明日への活力が漲るものだし、自分を大切に思うことができるからこそ他人に対して奉仕精神も生まれてくる、と考えているからです。
私自身も胸を張って「俺は自信があるぜ!」とは言えませんが、心地良い暮らしをするために自身の価値観を大切にしつつ日々の消費行動を選んでいます。
●消費そのものを見直す新しい動き
さて、2010年あたりから消費および生産活動の根幹を問い直すような新しいムーブメントが起きてきました。
エシカルやサステナブルといった、社会環境に配慮した考え方です。
人類含む地球そのものの環境や社会のバランスなどを考慮した考え方である"エシカル"と、持続可能性を軸に環境保全と社会活動を共存させようとする"サステナブル"。
直近では国際的な背景を元にこれらの活動基準および目標としての"SDGs(※1)"や、投資家へ向けて企業価値を測る一つの材料としての"ESG投資(※2)"など、様々なマーケットにおいてパワーワードとして用いられるようになりました。
※1 SDGs
持続可能な開発目標
(Sustainable Development Goals の略称)
引用元:外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html
※2 ESG投資
(Environment, Social, Governance の頭字語)
企業価値を測る非財務指標。環境、社会、組織等にどのような価値観を持って事業運営しているのかを視る。
引用元:GPIF
https://www.gpif.go.jp/investment/esg/#a
私自身も事業を営む身として「良いことを繰り返し再現できるならば、できるだけ継続させた方が良い」という考え方なので、これらの価値観に対しては好意的に捉えています。
地球や社会を取り巻く環境がより良くなれば、もしくはより良い状態が持続されることができれば、暮らしは豊かになるのでしょう。
そして、これらの思想は消費行動にも少しずつ影響を与えるようになりました。
できるだけ環境に優しいモノを取り入れよう、不当に搾取されたモノは排除しようなど、お買物の理由の一つとして、消費者側の選択肢の一つとして確立されました。
それらの用語の文脈を読み解けば"選択肢の一つ"というレベルではいけないとは思いますが、ここではSDGsの内容について論じたいわけではないので割愛します。
そして、私は特にそこまで強い社会環境への配慮をできている人間ではありませんので、詳細はサラッと触れるだけにしておきます。
●問われている事業者側の姿勢
翻って、事業者側の価値観はどうでしょうか。
日々の暮らしのために必要な日用品の提供はとても素晴らしいし、意味のあることだと思います。必需品全般の供給が止まるようなことがあれば、おそらく日常生活の難易度は高まってしまいますよね。大量生産による大量消費ではありますが、それだけのニーズがマーケットにはあるということです。たくさんの物量を動かすため、これからの世界においては効率良い回転は維持しながらも、社会環境にとって負荷をかけない仕組みが課題だと言われています。
嗜好品に対してもモノによってはフィジカル面での有用な付加価値はあるし、何よりマインド面から暮らしの質を高めるアプローチができるため、こちらも事業者としては提供する意味のあることだと考えています。少量生産で高コストではありますが、生み出す付加価値の総和はかなりのモノだと捉えています。日用品と同じようにサプライチェーンや販売手法等においてまだまだ課題があると認識されています。
しかし、ことエシカルやサステナブルの話題になると何が課題なのか杓子定規に提言をなぞるだけでふわっとしてしまい、なんとなくマーケティング的に乗っかっている方々もたくさんいると感じています。
※そうでない方もたくさんおられるので、ごく稀な一例としてお受け取りください。
さもこれらが今の厳しいそれぞれの業界(製造、小売、広告etc...)を救う必殺技のように、まるで救いの呪文かのように唱える声が、ごく稀に私の耳や眼に飛び込んできます。
消費者側からすると新しい(というよりも本質的でもある)思想ではありますし、そこから生まれるプロダクトも秀逸なモノはあります。
だからこそ今は特に目立つ消費のカタチでもあります。
ゆえに、玉石混交でいてカオスなマーケットになっているようでは消費者のみなさまに価値が生まれるとは思いません。むしろ信頼関係を損なうようなことにも繋がりかねません。
そうした消費の齟齬を防ぐためには、私たちのような小さい企業が声を大にして叫ぶことではないかもしれませんが、消費者側もお買物に対するリテラシーを高める必要があるのかもしれません。
メディアに偏った情報収集をするのではなく、自身の価値観で良し悪しを判断するのです。
「メディアが悪だ」と言いたいわけではなく、彼らの仕事とは話題性があるものを取り上げることにより支持者を集め、その渦中に広告を打つビジネスモデルです。決して真偽を判断する裁判所ではないし、本質的な啓蒙活動を行う団体ではありません。一言で言うならば流行りの可視化です。
どうしても流行りが視えてしまうことで、ふわっとしたマウンティングも生まれがちですよね。エシカルじゃなきゃダサいとか、サステナブルって言葉を使わなきゃいけないとか。もちろん環境や社会に適正な方が良いに決まっていますが、そうでなければ悪、みたいな思想は逆に破滅を招きそう。
ファッションなどは特にマウントの取り合いで、その業界に身を置く者としては居心地が悪くなることもしばしば。
私自身も含め、その可視化されたトレンド情報に惑わされない知識と経験が身につけばいいな、と日々思っております。
●消費は誰かの所得となり、世界は巡る
結局、何が言いたいのかと言うと、お買物をする時のモチベーションというのは千差万別であり選ぶ自由があるのは当たり前なのですが、どうせ買うならば暮らしの質を高めるために消費をした方がいいなんて思うわけです。
エシカルもサステナブルもただただ自己満足ではなく、暮らしの質が向上する方向に持っていきたい。
日用品も様々な銘柄があるので選ぶポイントは数多にありますが、自身が心地良いと感じるモノを取り入れたい。
嗜好品は言わずもがなマウントを取るための所有欲を満たすのではなく、自尊心が高まるようなモノに投資がしたい。
第三者と比較することなく"私の心地良さ"を優先して欲しいのです。心地良い毎日を過ごすことが暮らしの質を少しずつ高めていきます。
私たちの消費は誰かの所得になるのです。
そして、その誰かの所得はどこかへの消費となり、どこかへの消費が誰かの所得に繋がります。
つまり、お買物という行動はこの資本主義社会の中でお金を動かすスイッチです。全ての人々が自身の生活に応じたスイッチを押すことで、社会そのものが巡ります。
自身の心地良さが巡り巡って誰かの心地良さに繋がるのであれば、それってとっても幸せなことだと思います。付け加えると、持続可能な社会にするためには人間が何かしらの消費活動を行い続けることが大切なのかもしれませんね。
どうせ買物をするなら自分のために。
そして誰かのために。
そしてあわよくば、当社で(笑)。