【無料記事】「願望」を述べるのではなく、頑張れば必ずできることを「目標」にすること
新年あけましておめでとうございます。
2025年もよろしくお願いします。
木原浩一
「今年の目標」
Xのポストで「今年の目標」を決意表明する。
その意気やよし
年が明けて、心機一転頑張りたい! という
気持ちの表れでしょう。それ自体は良いことです。
だが、しかし
七夕の日、短冊に自分の願い事を書くように、初詣で賽銭を支払い、手を合わせて願い事をするように
同じようなテンションで「今年の目標」を
口に(ポスト)している人が大多数ではないだろうか?
「目標」は漠然とした願いではなく
具体的、かつ明確で、現実的なものが理想的です。
例えば「魂天になりたい!」
という目標は、その実力が伴っている人ならば
打荘数を稼げば現実的に到達可能
ですので「目標」になり得るかもしれません。
しかしその場合、もっと現実的な「打荘数」を「今年の目標」にしたほうが良いのではないかとも思う。
魂天になる実力が伴っていない人が「魂天になりたい!」といっても、それはただの願望でしょう。
また、無制限でチャレンジできるネット麻雀の
段位と違って、限られた期間内で成績を競う競技麻雀
例えば「タイトルを獲りたい」とか
「リーグ戦で昇級したい」を目標として掲げても
それは目標ではなく、ただの願望なのでは?
と、僕は思ってしまいます。
や、ケチをつけたいわけではないんだけど――
そりゃ僕だってタイトルを獲りたいし昇級もしたい。願望を叶えるために、全力で挑む所存ではありますが
一打一打丁寧に、常に最適解を探す努力を怠らない
それは日々の積み重ね、練習の成果としての延長上にあるものであって「今年の目標」とは少し違うかな。
「口にすれば願いが願い叶う」
だから、願い事は言い続けるべきっていうじゃない?
「口にしても願いが叶わなかった」大勢の人を無かったことにして、極一部の願いが叶った人の成功談として「言い続けた」ことを取り上げる。
あるあるですよね~
僕ね、太字のこれ大嫌いなんですよ。
誰だって試合中は一生懸命打ってます。誰だって勝ちたい気持ちは秘めているに決まっています。
「一所懸命やっている」という言い訳はダサすぎるだろ!
願いをか叶えるために、どれだけの
時間を割いて、どれだけの練習をしてきたかどうか
相手と差をつけたかったら、少しでも勝率を上げようと思うなら、口に出すかどうかなんて関係ない。
ロクに練習もしないで「昇級したい!」とか
「タイトルを獲りたい!」とかを目標にしてるヤツらは
麻雀、舐めてんのか?
と、思いますけどね。
僕の去年の目標はYouTubeライブ配信300回でした。
「チャンネル登録者〇〇人達成」は、「目標」ではなく「願望」に近いかなと思ったからです。
結果は大幅に未達(254回)でしたが、場末の麻雀チャンネルにしては、2000人以上の増加は健闘した方ではないでしょうか。
今年は250回以上(メン限抜き)
のYouTubeライブ配信を目標に頑張ります。
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