『Starfield』航天日誌 10日目
【注意!】この記事はネタバレだらけです
航天10日目を終えて
ゲームの起動自体が間遠になってきている。ゲームをしていてもロード時間に本を読み出したり絵を描き出したりして、ロードが終わっても読んだり描いたりし続けている、ということが増えた。
サソリの尻尾でスターボーンとご対面だ。
【以下特に重要なネタバレアリ】
また人間かよ!! ふざけんな!!! 人間人間人間人間どこまで行っても多元分岐した宇宙を覗き見ても人間か!!!!!!!!!!!
肌のひとつでも青ければ心が落ち着いたかもしれないが、見知った顔と来た。グウーーーーーッ めちゃくちゃ腹が立ってきた。何だこの人間中心主義は。アンドロイドすらいない。ヴァスコもあんまりたくさんのことは話してくれない。どいつもこいつもツルッとした顔で歩いてやがる。異星生物もどこかで見た地球生物の遺伝子アレンジレシピみたいな存在ばかり。遺伝子にちょっととろけるチーズ乗せましたみたいなやつばっかりじゃんか!! ラブラドール・レトリーバーを滅ぼして地球を去って人間ばかりうじゃうじゃ増えてやってることは武力での小競り合い!!?!?!?!?!?? ふざけんな!!!!!!!
もうユニティを手中にして多元宇宙の人間全員滅ぼそうぜ。そして宇宙に散った地球の動物の遺伝子情報を探し集めてラブラドール・レトリーバーの楽園を作ろう。ラブ楽土だ。
しかし私のラブ楽土構想に該当する提案はなされない。エミッサリー(サムもどき)は「大義のために連帯」し、資格あるものにだけアーティファクトの力を与える方針らしい。片やハンター(アキウスもどき)はアーティファクトを巡って闘い勝利したものが力を手にすればいいと思っているようだ。選民思想に基づく管理社会or暴力が物を言う自由競争社会って感じか? どっちもクソじゃん。
第三の道は無いのだろうか? ユニティを全宇宙全人類にアクセス可能なものとするか、あるいは誰にも触れられないよう完全に封印することで、競争や所有自体をナンセンスな概念に引きずり下ろすことはできないのか?
そもそも、スターボーン(アーティファクトとそれが導くユニティを巡って争う多元的宇宙の人間たち)はアーティファクトの製造者ではないんだろ? 彼ら自身それが強大な力を持っていることを知ってはいても、なぜ持っているかは知らないわけだ。その"製造者"はスターボーンにも思い至らないような力の使い道を想定していたのではないか? だったら私たちは"製造者"の思惑を知るための探求を行うのが先決じゃないか? なのに、私たちに先んじてアーティファクトに触れていたにも関わらず、こいつらときたら……平行世界のそっくりさんどもを新聞紙マルメターノとかでバンバン叩きたくなる。
ベセスダは私に忍耐を要求しているのだろうか。「人間に耐えろ」と。人間より優れた存在が現れて、旧人類は緩やかに新たな存在に世界を明け渡し、動乱の過渡期を終えて世界がより穏やかで理性的なものになる――そんな期待は捨てろと言っているのか? 結局人間はいる、不完全な形で存在し続ける、だからそいつらと共生しろと? FUCK OFF. そんなのは性悪説を己の悪行の言い訳にするような怠惰で停滞した詭弁だ。
しかし「人間(という耐え難い存在)に耐えろ」というのがベセスダのメッセージだとしたら、まだマシだ。ベセスダはもしかしたら、人間を耐え難いものだとは思っていないのかもしれない。よかれと思ってこのバーチャルな宇宙を創造したのかもしれない。そう考えるとぞっとする。
ところで他の多元的宇宙の私はみんな死んでるよとサムもどきから聞かされて、あの日あの時あの場所でバイレーツに撃たれたり異星生物に食われたりした私は実は平行世界の私だったのかなと思った。