病床経過報告⑩再退院
病気の発症から約一年。やっと退院が決まった。CARーT細胞移植も無事終わり経過は順調。しかし今回の治療には抗がん剤のような即効性はなく、じりじりと効くのを待たなくてはならないらしい。今後は地元の病院に通院し様子を見ながら薬が効くのを待ち、その上で社会復帰のタイミングを伺うことになる。このCARーT細胞療法(通称:キムリア療法)を受けた患者は国内において稀なケースであるので、これから治療を受けるという人や検討している人の参考になればと思い、治療の体験を記しておく。以下、事実の羅列になるのでやや単調になる。
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この療法の為に入院したのが5月19日(その前に別の大学にて抗がん剤治療を2サイクル実施済み)で、その日のうちにCT検査を行い治療前の状態を記録され、首の静脈から薬を投与する為に中心静脈カテーテルの挿入の処置がされた。病室はトイレとシャワー完備のクリーンルームの個室で、基本的にこの中のみで生活することになる。
治療の前処置として抗がん剤の投与(フルダラ、エンドキサン)を20〜23日の3日間をかけて行われた。リンパ球除去処置といって、予めリンパ球を減らした状態でCARーT細胞を輸注するらしい。副作用としては食欲不振や吐き気、出血生膀胱炎などが起こる可能性があったが、私の場合は特に感じられなかった。その後2日間空けてから5月25日にCARーT細胞の輸注がされた。手術のようなものはなく、輸血のように液体を首の静脈に流し込むだけで、尚且つ2〜3分程度で終わるので結構地味な治療ではある。量よりも濃度が重要だそうだが、この少量の薬に莫大な費用がかかっていた。輸注後は心電図と酸素のモニターを取り付けられ、病室の監視カメラが作動して何かあれば看護師さんが駆けつけてくれる。
前回のnoteに書いたがこの治療のリスクは恐ろしいものが沢山存在している。しかし実際のところ私の身に起こったのは「サイトカイン放出症候群」だけだった。これは体の様々な部位で炎症を起こすということだが、その中でも症状として現れたのは発熱のみだった。25日にCAR-T細胞を輸注してから4日後の29日夕方から熱が出始めた。体温が40度を超えて寒気がしたり、体内の酸素量が足りず酸素チューブが鼻に挿されたりしたものの、高熱が出るたびに解熱剤で熱を下げるという方法で十分対応できるものだった。
高熱が出ては解熱剤を投与してを繰り返して1週間ほど経ったところでパタっと症状が止まって落ち着いた。集中治療室に運び込まれることも想定されていたので、それ相応の覚悟を持ってして臨んだのだが意外に何もなかったな、というのが率直な感想だ。先生によれば、この治療法は白血病と悪性リンパ腫の患者に適応されており、前者の方が後者よりも副作用が大きく出ることが多いということらしかった。私の場合は悪性リンパ腫の患者だったのでそれほど副作用が出なかったのかもしれない。症状が落ち着いてからはひとまず1週間ほど休んで6月15日にCT検査で効果測定、6月16日に退院という運びとなった。その後は地元の病院に通院して経過を観察していく。CARーT細胞療法の入院期間は大体平均して3週間〜1ヶ月ほどで、私の場合は5月19日〜6月16日の31日間でちょうど1ヶ月の入院期間となった。
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やっと退院できると思うと晴れやかな気持ちになる。しかしながらこの一連の体験から私が学んだのは病気になることや闘病生活には「救い」も「ギフト」も無いということだった。目の前にあるのは儘ならない現実だけで、そこから目を逸らすことはできない。ただ、その分だけ日常生活に一定の希望を見出すことはできる。
ところで、昨今のコロナ堝の状況下においてニューノーマル(新しい日常)というキーワードをよく目にするようになった。そこには寧ろこの状況を力点にして、古い慣習を捨て変革へ導こうとするポジティブな意味合いや、連帯して皆で変えていこうという意思の現れが含まれている。こういった動きに関しては基本的に肯定的に捉えているし、実際には様々なところで新しい日常は始まっているのだろう。ただ、私の場合は「新しい日常」というよりは「別の日常」というべきものを生きていくのだろうと思うのだった。今となっては以前の日常に戻ることはできない。変革という大胆さは無いがあらゆる選択に慎重さを要することになる。連帯は無いが孤独はある。後ろ向きのベクトルに足を取られながら、いつ引き戻されるかも分からない有様でも歩いていく他ない。日常に戻るのではなく、別の日常をより良くしていこうと思う。
昨年の8月から書き始めたこのnoteもこれで終りにする。また何か良からぬことが起これば書くかもしれないが、更新がなければ元気に過ごしているのだろう。