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挫折経験はあった方がいいのか
よく挫折経験がない人のことを「打たれ弱い」とか「踏ん張りが効かない」などというような人がいるが、そもそも挫折経験とは何なのか?
これは挫折でこれは挫折じゃない、なんて決めるのは誰なのか。そう思うと「挫折」なんて結局その人の感じ方によるのではないか。”打ちのめされた”感覚や”諦めざるを得なかった”気持ちといったものが、世の中的には「挫折」とされているような気がする。
さて、挫折はあった方がいいのか?であるが、個人的には挫折を知らずに済むのであればそれに越したことはないと思ってしまう。もちろんこれまで幾度となく打ちのめされてきた経験がプラスに影響してくれたこともある。しかし、ある意味、挫折とは敗北であり、勝ち続けられるのであればそれに越したことはないじゃないか。とはいえ、勝ち続けるのは非常に難しい。なんてたって、敵は自分に大いに期待している自分自身であることが大半だからだ。多くの人が自分の掲げた理想と現実の狭間で挫折を繰り返す。現実を理想側に引き上げることができれば何も問題ないが、それができなくなるときが来るのだ。そして理想を現実側に引き戻す。
私にとってはっきり記憶している最初の挫折は12歳のときに訪れた。SAPIXという学習塾で、たまたまバグを起こして一番成績の良いクラス(当時はα1というクラスだった)に入ってしまった。(このとき、全国35位(校舎5位)という今では信じられない好成績をマークした。)
自己ベストを記録して一番上のクラスに入れたこと自体は大変喜ばしいことだ。だが、まぐれで入ってしまった私にとって、α1というクラスは地獄でしかなかった。
自分が必死に問題を解こうとしている横で、雑談ばかりしている連中が、自分よりよっぽど早く正確に問題を解いていく。わからないことを先生に質問する輩なんていない。下のクラスでは厳しい口調の先生たちも、α1のクラスでは雑談ばかりで上機嫌だ。授業ではなかった。何も教えなくても勉強ができてしまう天才たちの自習時間だった。
彼らは最強だった。例えるなら鬼滅の刃の「上弦の鬼」だ。ずっと顔ぶれが変わらない。そして二番目のクラス(α2)とは一線を画す圧倒的な実力。
α1のクラスに入ったことを両親は喜んでくれたが、小学生だった私はα1で全ての自信を失った。食は細くなり、成績も信じられないほど悪化した。もう無理だった。
この挫折が何の役に立つだろうか、「いくら努力しても敵わないくらい頭の良い人達がいる」ことはわかった。自分の頭脳がそんなに優れたスペックでないこともわかった。むしろ自分の限界を決める足枷になっているのではないか?
でもたしかに、「他人が理解していることが理解できない」というのがどんな気持ちであるか分かるからこそ、誰かが「わからない」という時には優しくしてあげられるのかもしれない。
さて、限界なんか決めずに、もうちょっと頑張ってみようかな。