ウィットな切り返し
こんばんは!りんてんです。
酒の肴に本の話をしたがる後輩が二人いて、片方は純文学好き(これからこっちを純と呼んでみる)、もう片方は話のテンポがいいエンターテイメント志向の作品が好きとかなり対照的だった。ちなみに私はどちらのタイプの作品も好き。
純は最近の作家を毛嫌いするタイプで、一度伊坂幸太郎さんを読んでいたとき
「先輩もそんな何も残らない小説を読むのは止めたらいいのに。」
とまで言われてしまい
「何も残らんかもしらんけどとりあえず面白いよ。」
と言ってみても
「重厚感が足りないと読む気がしない。」
などとよくわからないことを言われてしまった。
ちなみに彼は文学作品を評するとき、「重厚感」という謎の基準をよく持ち出していたが、彼の話から判断すると重厚感がある作品とはどうやら地の文が多い作品のことらしい。
話は戻るのだけれど、純ともう一人の後輩が同時に家にやってきたことがあって、もう一人の後輩が本を貸してほしいと言ったので東野圭吾さんの本を勧めると、酔いのせいもあってか
「お前も相変わらずくだらん本しか読まんな。」
と純が言い捨てた。
「くだらんってどうゆうこと?」
平静を装ってはいたが、本来こんなことを口にするタイプではないので、随分イライラしているのが見てとれた。
「俺も面白いと思ったんやからくだらんとか言うなよ。」
純のこの手の話には慣れっこだったので放っておいてもよかったのだけれど、後輩は私のために怒ってくれているようでもあったので一応口を挟んでみた。
「先輩は重厚感がある本も読むじゃないですか。」
出た!
よっぽど鈍感なのか相手がイライラしているのもお構いなしに純がお決まりのセリフを言い放った。
「だったら広辞苑でも読めば?」
後輩がため息混じりに言ったのだが、これには思わず感心してしまった。
彼は純の趣味から「重厚感がある=文字数が多い」と判断して
「文字数が多いのがいいのなら広辞苑でも読め。」
という意味と
「重たくて厚いのがいいなら広辞苑でも読め。」
という意味の両方を込めて、「文字数だけで作品を評することの浅はかさ」と「重厚感という言葉の不明瞭さ」を揶揄したのだ。
「重厚感ってのは重さのことじゃなくて…」
などと相手を小馬鹿にした感じで純が話し始めたころには、後輩は話をするに値しないと言わんばかりに
「なるほど。」
と適当に相づちを打っていた。
純が先に帰ったので
「さっきは巧いこと言ったな。」
と私が言うと後輩は
「あいつ全然わかっていませんでしたね。」
と遠い目をして呟いた。
こんなふうに、上から目線で話して巧く切り返されたとき端から見ると無茶苦茶カッコ悪いので、それだけは気をつけたい。