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コーチの選手に対する言葉かけによって良いチームかどうかがわかる!【ジュニアの分析05/僕の仮説43】
今年は自粛明けからジュニアの試合を見たのは数える限りである。その代わり、IT環境で見られるサッカーの試合を観戦しているので、昨年よりも幅広いカテゴリーのチームや選手を目にしているのは間違いない。
特に全日本高校サッカー選手権大会の都道府県予選をいくつか見たのは大きかった。
自分が住む都大会決勝はAもBも両方テレビ放映を眺めた。正直に言えば、「なんだこれ?」と思うことはある。ユースの試合にもかかわらず、攻守に一定エリアにしか選手がいないこの状態に言葉も出ない。
サッカーは何のために11人がいて、何のためにポジションと役割が決められ、「適材適所による掛け算の法則」によって魅力あるチームづくりをしようと試みているのかが、ある試合に限ってはまったく感じられなかった。
ラグビーのような「ただ密集を作ること」による攻守のカオスを前提にしたサッカーのあり方に「勝つため」だけに絞られた、選手の可能性を指導者側が封鎖して諦めてしまったチームづくりにタメ息が漏れ、「選手はコーチの操り人形ではない」と言いたくなるようなチームもあった。
一つのボールに対して22人の選手が入り乱れるサッカーにおいて「どう戦うか」は、コーチがどんなサッカーを目指して「どうチームづくりを行うか」が大きく関与しているし、それを体現するための戦略も必要になる。
戦略とは、目指すサッカーを表現できる能力を持った選手の獲得と育成があった上で、保有期間内にどれだけの現実的なアプローチによって自分たちの目標が達成できるかを中長期的なプランを具体的に持ちながらも、コーチにその時々で選手の状態や状況を鑑みて調整できる能力が求められる。
サッカーのチームづくりと育成との両立を図るには、サッカーというスポーツそのものをある程度は体系的に構造的に理解する必要があり、現有戦力を見て「自分の目指すスタイルを表現するのが可能かどうか」という判断を見誤れば、チームはおろか、まともなサッカーができるとは思えない。
そこで、なんとかしようとすれば、きっとコーチは選手を言いなりに従え、ただただ自分の思う通りに動かすゲームのパーツとその組み合わせのような感覚でサッカーを構築していくことになる。そこに選手の意志や意図は存在せず、その先の将来に続いていくかと問われたら、その可能性は限りなく低いだろう。
言いなりの先になるのは自分への疑問、プレーへの辛さ、サッカーへの失望だけである。
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