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クラブにより練習も試合も回数が違うのにお隣さんと同じ指導でいいわけない。【筆者の思考整理帳12/僕の仮説50】

■学ぶ機会の平等性を創り出すには?

天才をプロに育成するのがジュニア指導ではない。

普通の子が「プロになりたい」と言った時にその道を目指して適切に寄り添っていくこと、「サッカーが好きだ」という子をより楽しくプレーできるようにしていくことがジュニア指導の役割である。

つまり、「サッカーをしたい」と望んでいる子にできるだけ学びの機会を与えるのが指導の本質である。

学びの機会といえば、一般的に練習を想像しがちだが、試合が含まれるはずだ。しかし、日本のジュニアではサッカーに限らず、チームスポーツ全般で試合が除かれた=分断された文化が形成されてきている。

練習はみんなでやっているのに、試合になると急に「レギュラー」と「ベンチ」にわけられ、差別される。理由を指導に問うと「実力だから」「まだ実力が足らないから」と答えが返ってくる不思議な現象が起こる。

「だったら、ベンチの子も試合に出場しないと実力は伸びないし、むしろレギュラーとの実力差は開く一方で、もっと出られなくなる状況に陥りますよ」と問い返しても、ゴニョゴニョと意味不明な答えが発信される。

さらに不思議な現象がもう一つ!

試合といっても、公式戦と練習試合とがコーチの中でレベルわけされている。その気持ちはわかる。練習試合で慣れながら公式戦、いわゆる本番につなげる。そういうアプローチは世界中のサッカークラブがとっている手法なので、それそのものは問題ない。

ただ、日本のジュニアクラブの多くは練習試合には出場させるのに公式戦には出さないことも少なくない。要は、本番の経験ができない。本番と練習試合の違いは大きい。本物の勝負がかかったプレッシャーの中で同年代の選手と戦う経験は何物にも代えがたい。

これ以上の経験はどんな優秀なコーチでもさせられない。

練習試合には「練習」という枕詞がついているので本番ほどのプレッシャーを作り出すことはできない。日本のジュニアコーチはここだけには目を向けられるが、本番の経験には目を背ける。コーチの中で言い訳材料を作り、正当化している。

どういう基準で平等を保つかはコーチのさじ加減にゆだねられている。これが日本のジュニアの現状だ。知識のない人は自らの経験が基準だし、指導経験が豊富な人であってもプレーキャリアだけに注目し、それぞれの子どもの成長に合わせた本番体験の基準を設けられない人もいる。

私は、指導には「想像力→創造力」が必要だと考えているが、これを自分自身で育んでいけないコーチがどうして子どもに「想像力→創造力」を求められるのかと不思議に思う。

1月20日(水)に行ったセミナーでは、現役Jリーグクラブを指揮するシュタルフさんとの話の中で、そんな内容にも触れた。新年二回目のコラムでは、そこで彼と話した内容について感じたことを書き綴り、おまけで「動画」も添えておきたい。

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