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ジュニア指導は選手の「ミスや失敗を織り込み済みにしない」と心が育たない。 【ミスの許容01/僕の仮説22】

ジュニアの街クラブで現場を預かるコーチは"何"を目標に子どもの指導をしているのか?

たまにこんなことを思う。プロを育成すること? 強豪のジュニアユースに入れること?…。一体、何なのだろう。私は「子どもが社会で生き抜く力を身につけてほしい」と現場に関わりを持っている。取材することも、アドバイザーすることもそう。いつも"サッカー"を通じて「生き抜く力を養ってもらうにはどうしたらいいか?」を考え続けている。 

だとすると、サッカーと社会と共通点は何なのか? 

一つは、"人との関わり"を持ちながら目標を達成することではないだろうか。企業(クラブ)に所属すれば、必ず給料(チャンス)をもらうために配属先(チーム)で役割(ポジション ※一定の実力が必要となる評価が存在する)が与えられ、そこで成果を上げられなければ自らの存在意義を示すことはできない。

自分の存在意義(実力=実務+個性)を示すことができなければ配属先(チーム)は機能せず、結果を出すことは難しい。当然、結果が出なければ決まった給料(チャンス)はもらえるかもしれないが、前進はない。しかし、新しい社員(選手)が入るなど周囲の環境変化は常に起こっているわけで、このままの状態が約束されているわけではない。

そういった環境に適応できなければ、所属する企業(クラブ)を考え直すことも必要かもしれない。

いずれにしろ、このような過程は社会においていつも起こっていることであり、どんな人もその中で自らの生きる道を模索し、周囲に対しても存在意義を証明しながら生活を送っているのは確かだ。そして、これはサッカーに限らず、スポーツの世界の日常だ。

ちょっとした例外もある。

社会人サッカーやシニアサッカーは勝負もさることながら"健康"に寄る割合が大きくなるので、競争より「楽しい」を選択しているクラブもある。事実、私が所属している社会人クラブがそうだ。それでもリーグ戦では「勝つため」にプレーしている。

サッカーのような集団スポーツは"人との関わり"が存在するので、社会生活を送ることと近い状態、状況がたくさんある。ゆえに小さい頃にスポーツをすることが「将来に役に立つも多い」といえる気がする。

写真提供=佐藤博之

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