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note再開 ! 幽玄の世界に。
皆様 おはようございます。
いまは午前5時7分。ここ東京は日の出のお時間です。
そして、今日は、処暑(しょしょ)。
暦の上では厳しい暑さの峠を越え、朝夕には涼しい風が吹きはじめるも、
おうちとお外のあわいに、戸惑いや躊躇といった窮屈さを感じ得ぬ今日この頃ですが、
天高く馬肥ゆるころには、秋吹く風とともに颯爽とお出かけしたいものです。
それはそうと。たいそう久方ぶりの投稿となりました。
人生始まって以来のロングバケーション(単なる静養 汗)を経て
さも投稿をおやすみしてから数えるに、もうかれこれ3ヶ月。
季節も物事のなりゆきも、ちょうどあいまの頃合いに。
さりとて「重大な局面に立ち」、あらんや「新しい局面を迎える」端境期。
巡る時候の趣は奥深く、はかりしれない。
あらゆるものコトを包み込んだ 無常観的な哀愁。
いわんや (※1) 幽玄の世界に。note再開 !
楽観的希望の念を込め 汗→ 次回の投稿へと
つづく。
さて。walkingに行ってこよ。
※1 幽玄 (ゆうげん)
言葉に表れない、深くほのかな余情の美。
「もののあはれ」を受け継ぐ、中世文学・中世芸能における美的理念の一。
世阿弥の能楽論では、優雅・妖艶な情趣。藤原 為家の歌論、心敬の連歌論、禅竹の能楽論では、古淡にして心の深い境地。ひえさびた美。
※コラージュの写真
「私にはこの顔を愛撫してくれる手がない」
マリオ・ジャコメッリ/ Mario Giacomelli
1925年イタリア マルケ州生まれ
photographer
この連作写真は、自身が暮らすイタリアの小さな村、セニッガリアの神学校にて三年かけて撮影したもの。最初の年はあまり撮影はせず、その場に身を置いて神学生らを取り囲む場所を眺めていた。
※ さりとて 〜あらんや
現代訳:それにしても「重大な局面に立ち」、「新しい局面を迎える」だろうか
※ いわんや
《副》言うに及ばず。もちろん。まして。
P.S.1 服は素材からデキている
P.S.2
実績素材のアーカイブや、ブランドの世界観など、InstagramでUP始めました。宜しければ下記の画像をぽち、またはこちらからご覧くださいませ ▶︎▶︎▶︎ @noteihara