近藤 弘志

島から東京へ。日本のいろんな田舎に行ったり暮らしたりしたけど、やっぱり島が好き。2025年までに、島でカフェを開くのが夢です。だれもが、いたいようにいられる、在りたいように在れる場をつくるため、茨城での生活を経て、今は島でのんびりがんばる予定。

近藤 弘志

島から東京へ。日本のいろんな田舎に行ったり暮らしたりしたけど、やっぱり島が好き。2025年までに、島でカフェを開くのが夢です。だれもが、いたいようにいられる、在りたいように在れる場をつくるため、茨城での生活を経て、今は島でのんびりがんばる予定。

最近の記事

27歳で島に帰ってきて、なじみのお店に訪れた時にふと思った

歩いて徒歩5秒の喫茶店で頼む、ぼくの鉄板メニュー。 バナナジュースとホットケーキは最高の組み合わせです。(パンケーキじゃない) そういや去年、なんか書いてたわ。 ちょっと恥ずかしい... 読み直してみると、やっぱりなんか違うかも...と思ってしまう。 ...うん、やっぱり大げさに書いてるw 好きなことに理由がなくてもいいように、僕にとっては『島で暮らすこと』『島に関わること』には特に理由もなく、暮らしたいから暮らしている、関わりたいから関わっているだけなんだなと。 仕

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      1月7日からクラウドファンディングに挑戦しています。 もちろん自分はやったことないですし、事務局のメンバーも未経験です。 でも、僕ら一人一人には、このプロジェクトを通して届けたいことがあります。 ぼくの場合きっかけは? クラウドファンディングのほうでも書いていますが、やはり卒業した先輩隊員の存在でした。 新型コロナの第一波と言われる時期、ほとんどの自治体の協力隊がそうであったように、報告会が中止になりました。報告会を実施できなかったのは仕方のないことです。無理に開催し

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        ちょっと自分のことを振り返りがてら、こんなことを書きました。 他にも書かなきゃいけないことがたくさんあるんですが、「そういえば自分にとって、島ってどんな存在なんだろう?」と今朝モヤモヤしてたので、先に『自分にとっての島という存在』について書いておこうと思います。 島根県沖に浮かぶ隠岐諸島、その一つ西ノ島、港がある別府の、ある商店の4番目として僕は生まれました。父親もこの島で生まれ育ち、高校進学時に島を出たもののUターンをして家業を継ぎました。母親は、隠岐諸島で一番大きな島

        • 地域おこし協力隊になって思うこと ーこれからやるひとがいたらー 

          地域おこし協力隊の人たち(OBOG、その他関係者含む)の話を聞いて。 まちづくりだとか地域おこしの分野で、なんで自分はイベントやレジャーや宿泊なんかの形があるものをやりたがらなかったのか。形あるものを提供するサービスに、自分は全く魅力を感じないのか。時間や物に対して対価を払うサービスを提供したいと微塵も思わなかったのか。 「続かない」からだ。 自分がいなくなったら誰がやるの?誰もそんなこと考えない。 自分がやりたいことはなんだろう、自分ができることはなんだろう。自分の人生