運命とは
午前4時過ぎ。現在、兵庫県にある祖父母の家を訪れるため夜行バスで移動している。
夜行バスに乗るのは2年ぶりで、慣れていたと思ったが中々寝付けず、狭い座席の上で何度も上半身をひねりながらストレッチをする。
眠れない時間が続き、暗闇の中に佇む無数の電灯たちの光を窓から眺める。
毎日このようにドライバーに行き先を示しながら目的地まで背中を押しているんだなと、心のどこかで暖かい気もちになった。
そして流星のように、バスが動くと共にすごいスピードで流れ去るそれらを見ながら、何故か運命について考えた。運命とは何なのだろうか、本当に運命というのは存在するのかと。
もし祖父母が出会なければ、母と父は産まれなかったであろうし、母と父がある地点で会話を交わさなければ、恋に落ちなければ、紛れもなく自分は存在しなかったであろうな…と、当然の事をグルグルと頭の中で思いふける。
同時に単純なことだけれど、すごく不思議で大切な事だとも思えた。何故なら、自分含む一人ひとりの意思や行動によって現在が出来、また未来が変わるからである。
ほんの少しでも何かをすれば、それが結果となり先が変わり、逆も然りである。
偶然ではなく、祖先の方々や祖父母、父母含む多くの人々の努力や意思、行動によって自分は生きることができているのだと考えると、決して一日の時間を無駄にしてはいけないと気が引き締まったと同時に、感慨深く思えた。そしてこれから出会う人々にも感謝をしながら、大事に生き、写真を撮っていこうと思った。
なんだかこれから挨拶に行く、天国に住む祖父母が私に大切なことを気付かせてくれたのかと思え、到着したら目をつむり手を合わせ、静かにこの事をお礼し話そうと思ったのであった。