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11月を乗り切った。偉い①

10月はあまりにも辛くて、来月は一体どうなっちゃうんだろうって毎日夜寝れない布団の中でうなりながら考えていた。

そもそもどうしてこう追い込まれたのかと言うと、きっかけは7月に父が鼠蹊部ヘルニアの手術で4日ほど家を開けることになり、その間母を昼間に1人で家に置いておけないからショートステイを検討したところからだ。

両親ともにこちらから見ると完全なるアルコール依存症で、特に春先以降は母は隙があると昼も飲んでいた。
飲んでいたものがまた良くないというか…ビールなり、缶チューハイではなく、水筒に水を入れているだけだと言い張っていたが、なんと大五郎のストレート(わかりやすく言うと乙酒の焼酎)

ちなみに、昨年冬に彼女は泥酔状態時に睡眠導入剤をコラボして、ハロゲンヒーターの上に羽毛布団をかぶせ、危なく家を2度目の全焼に導くところだった経歴をもつ。

火災報知器のおかげで何とか周囲に燃え移る前に気づくことができ(深夜の出来事)結果、2週間家が臭い以外の大きな被害はなかったものの、そんな人間をひとりで置いておけるわけはない。
わたしはなんというか、朝7時半に家を出て夜は22時頃帰宅するわかりやすい社畜である。父が家にいない場合は母ひとりはそんなわけで不可なのだ。

ちなみにハロゲンヒーターに限らず、火の始末全般が危ない状態になっていた。ガスの消し忘れも多い。水道もなんなら閉め忘れる。どうあっても家に1人で置いておくことはできない。

そもそも以前彼女は片方の大腿骨を折っていたために、要支援2の判定が出ていて、定期的に在宅介護のケアマネージャーが通っていたので、今回ショートステイと言う話が持ち上がった。
認知機能低下とアルコールのコラボが悪化の一途を辿っていたため、現状維持は限界があると以前から感じており、行政サービスを使ういい機会だと感じたので、私も積極的に説明を聞いたし、またアルコール部分の関係で父はケアマネに正確な情報情報連携をしていないと以前から感じていたので、この際、介護キーパーソン及び家族保証人を全て私で契約することにした。振り返るとこの時この選択をしたおかげで、あとの手続きはかなりスムーズになった。

本来であれば、鼠蹊部ヘルニアの手術はリスクも高くないし、今後のためのショートステイのお試しだけした上で元の生活が戻ってくるはずだった。

ところが結果、現在もうおそらく母は家には帰ってこない。
人生は何が起きるか本当にわからないものだ。


母は父の入院と同日にショートステイの担当の方が迎えに来てくれて、施設に入った。
施設の受け入れが朝一で、父の入院が午後一だったのでそういうスケジュールになった。

手術日は私も休みを取って手術に付き添った。
朝9時に病院に入った。手術開始時間が父の連絡と全く違っていたこともあり、ほとんど時間がかからないと聞いていたはずの手術の付き添いに8時間を費やす羽目になり、かなりヘトヘトになった。
父からのスケジュール説明と病院の主張が食い違っている…。病院からは前日伝えた時間に来なかった私にかなり冷たい態度をとられたわ。
どうやらこの時期あたりから父も日にちと時間の把握がおかしくなっていた。父はまだ大丈夫だと信じたい気持ちがあって目を背けていたが、11月現在、父の認知症も進んでいることを認めざるを得ない状態になっている。

無事に手術が終わって帰宅したところ、携帯をみたらショートステイ先から母の番号で鬼電。当初は母の携帯からだったが、その後施設からの着信に変わっていた。

なんだろうと思って折り返したところ、母が興奮して手がつけられないので、お嬢さんから落ち着くように話してほしいとの事。
認知症気味ではあったが、父の手術中にショートステイに行く事は理解していたはずだったが。
電話をつないだ向こうから聞こえてきたのは、絶叫に近い声でここはどこだ、なぜ父に連絡が取れないんだと。

彼女完全にわかんなくなっていた。
いろんなことが。

振り返って考えると、この時アルコールの離脱症状が出ていたと思われ、これは後になって医師に指摘されて初めて気づいた。

母に極力穏やかに父が手術を受けたこと、まだ眠りから覚めていないこと、回復するまで施設に預かってもらっていることを繰り返し繰り返し伝える。一瞬納得してもすぐにまた同じ問いが戻ってくる。それにとにかく穏やかに、同じことを繰り返し伝える。
1時間ほどでやっと収まって電話を切った。
ところが疲れて横になろうとしたところ、今度はまだ意識が朦朧としてる位のはずの父の携帯から着信が。
なんだろうと思って電話を取ったら、母が興奮して電話をかけ続けてくるので何とかお前から説明してほしいと言う。
弱りきった声の父だった。
まさか全身麻酔から開けてすぐの人間から、そんな電話をもらうと思わなかった。
気持ちはかなりぐったりしながらも、再び施設にいる母に電話。
お前にかけたわけではないとお怒りではあるが、父は今電話を受けれる状態ではないので、かけないようにと繰り返し穏やかに説明する。
でもさっき話せた。と母。
そういうところだけは忘れないらしく母はそう主張するので、もう仕方がないから母から携帯を取り上げるように施設の方にお伝えするも、施設の方がそれをすることはできないと言われる。
一旦電話を切って父の携帯にかけ説得が難しいので、とにかくいちど電源を落とすように伝える。
この父の電話がつながらなくなったせいで、その日は24時近くまで母の電話から何度も興奮した声で着信があった。
明日から働けるか自身の体調が非常に不安になったが対応するのはもう私がするしかない。それはわかっていたので頑張るしかないと思って、極力穏やかに母に状態を伝え続けた。

恐ろしい夜だった。


何とかそのまま施設に預かってもらったが、その日かその次の日かわからないけれども、どうやら興奮状態の中転倒したらしい。
ショート入所から4日目。土曜日に施設を出すことになっていたが、その前日3日目の朝に本人が足が痛いと主張しているとの施設からの入電。
本来ショートは家族が病院に連れて行かねばならないらしいが、父の病院も仕事もあり身動きがとれない。泣きそうになっていたら施設の方が整形外科へ連れて行ってくださると言ってくれた。
結果大腿頸部骨折。以前やった反対側。いつ転倒したかはさっぱり見当がつかず。
しかしその日はもう病院への搬送ができなくて、さらに土曜日は父が退院してくるため、私が身動きが取れず、週明けの月曜日朝一で施設から大きな病院に搬送していただく話になる。

搬送先ではもちろん緊急手術となり、朝から各種手続きと検査に追われる。半身不随の患者をレントゲン台に載せるの、私にやれって看護師に言われたけど、やったことないぞそんなん。検査技師や看護師が手を出して事故があったら困るとの事だが、素人の付き添いがプロがリスクを感じる介助を…できます???謎理論。
そして検査から手術同意書記載→手術。

手術は可能だが、認知症のために思うようにリハビリはできないだろうと。完全寝たきりになる可能性は指摘されていて、しかしリハビリができればある程度戻る可能性もあるとも言われた。このまま手術せずに寝たきりにするか、または可能性にかけるか。

さすがに全部を諦めるにはまだ年齢が年齢なんで。76歳。諦めきれない。とりあえず手術とリハビリを選ぶ。
家は車椅子が入れるような作りではなく、半和室のため、もし寝たきりになった場合、家での受け入れは難しい。アルコールもな…飲んじゃうだろうしな。

手術は問題なく成功。
翌日午後から身体を動かすリハビリを開始すると説明があった。

そうだ。手術中付き添いはデイルームに詰めるよう言われたが、食事もトイレも本当に困った。手術明けの父はもちろん戦力外のため、孤軍奮闘。ひとりはつらいな。

そこから急性期病院への2週間の入院となった。

さて。手術した病院は2週間ほどで出なければならない。
リハビリ転院先の候補選ぶように言われたが、その中に担当しているケアマネさんを派遣している医療法人が経営している病院があった。内科の病院でリハビリ科も併設されていたし、私の職場から徒歩圏内。
ケアマネさんとの情報連携の部分でも、後は私自身のフットワークの問題でもベストな場所ではないかと感じて、そこを第一希望とし、病院の方からも受け入れ可能と返答もらったので転院となった。

ところが。
このリハビリ転院した病院がほんとうに酷かった。

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