個人の「情報公開」と「動の履歴」で信用が成り立つ
という、未来が見えてきました。いまは、「個人情報保護」が主流ですが、「信用」が流通するようになると、「個人情報公開」が主流となるのでしょう。「例外なき公開」が求められ、非公開があるほど「信用されない」ことに。
これは、政府にとっては申し分ない文明・文化。税収も ”反政府” も管理することが容易くなります。一方、個人はどうか。緊急事態が発生した時に、すべてが公開されていればすぐに対処が可能となります。健康面ではメリットが大きい。「だまされる」被害については、どうか。「例外なき公開」であれば、複数の個人や組織が本人認証をしてきますから、ニセモノを見破りやすい。互いに連携しあっているので、簡単には改ざんできない仕組みとなりそうです。
「好きなことができるか」というと、しても構わないけれど「動の履歴」に刻まれます。過去の好きなことが、今は嫌い。だとすると、その履歴の中で趣向の変遷がだれからも見て取れます。それが、「信用ならない人」と解釈されてしまうかどうか、というところ。面白いのは、どんな人も変遷が見て取れますので、「好きなことしたって、信用については、差し引きゼロ」になりそうです(笑)。「だれしもが移ろいやすい」というジャッジメントになりますから。
「例外なき公開」と「動の履歴」。この二つが互いに絡み合って、新しい金融や産業が生まれてくる予感がするのです。ただ、”公開” で ”後悔” はしたくない・・・笑。