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次期総理の言葉からスタンフォードの授業を思いだした話

緊急事態宣言もついに解け、皆さん休日を楽しんでいる頃でしょうか。私は2回目のワクチンがまだなので、家でおとなしくしています。笑

さて、緊急事態宣言の解除ほどすぐに日常の暮らしが変わるわけではありませんが、次期総理の選出(正確にはあさってですが)も、もう一つ、全国に関わるニュースだと思います。

留学の話をこれまで書いてきて、なんで急に、スタンフォードと縁が遠そうな政治の話をし出したのかというと、総裁選後の記者会見での

経済には成長と分配、これが共に求められます。

という言葉で、「ああ、これスタンフォードで学部生も学ぶやつだな」と、ふと思いだしたからです。

スタンフォードでは基本的に、学部生の学位は3つしかありません。

Bachelor of Arts (B.A.)
Bachelor of Sciences (B.S.)
Bachelor of Arts and Sciences (B.A.S.)

3つ目はいわゆるダブルディグリーなので、実質2つだけですね。

いっぽう、学位の中のMajor(専攻)はたくさんあります。3年生になるまでに選びます。

専攻の1つにはPublic Policy(公共政策)もあります。日本では学部で公共政策専攻というのは珍しいかもしれませんね。逆に、日本にはたくさん法学部がありますが、スタンフォードの学部にLawという専攻はありません。

さて、そのPublic Policyでは、Justice(正義論)という授業が選択必修になっていて、学部生と大学院生が一緒に、200人くらいの大教室で授業を受けます。授業の様子の動画とかはないのですが、日本でも流行ったマイケル・サンデル教授の白熱教室のような雰囲気に似ていて、ちょっと興奮しました。笑

授業ではまさにマイケル・サンデル教授の思想「Communitarianism」も紹介されましたし、人種や両性の平等、「気候変動」における公平性、ベーシック・インカムなど様々なテーマを取り扱います。

初回でJusticeを論じるための基本的な視点として示されたのは、以下のようなものです。

Social cooperation generally produces much more than the sum of what the people cooperating could produce solely as individuals
社会的協力は一般的に、個人が単独で生産するものの合計よりも多くを生産できる。
The fundamental question of justice: how should we split
up the benefits and burdens of social cooperation?
正義論の根本的な問:我々は、社会的協力の利益と負担をどのように分配すべきか?

2つ目はまさに「分配」の話ですよね。
1つ目の視点、これはまさに、社会全体として(バラバラに生きるより)多くを生み出す、すなわち「成長」の視点です。

授業はさらにこう続きます。

Rawls: The fundamental question of justice is important to
answer under “conditions of moderate scarcity.”
ロールズが言うには、「緩やかな欠乏状態」の中で答えを出すために、正義論の根本的な問に答えることが重要である。

ロールズが誰かはここでは知らなくていいのですが(倫理や現代社会の教科書で見た方もいるかもしれません)、ここで重要なのは、

・資源が無尽蔵なら、みんなに好きなだけ配ればいいのだから、「社会的協力の利益と負担をどのように分配すべきか?」なんて問を考える必要はない。(Justiceを議論する必要はない。)したがって、公共政策も必要ない。

・「協力によってより多くのものを生み出すこと(成長)」と、(それでも無尽蔵にはならないので)生み出したものの「分配」のバランスや原則を考えるのがJusticeであり、公共政策の基本である

という考え方です。

もちろん「成長」の仕方、「分配」のやり方には、国によって地域によって人によって様々な考えがあるので、

・個人が稼いだものは一切分配しなくてもいいじゃない
・「成長」がマックスになるように資源を割り振るのが効率的では
・みんな同じ資源を受け取るべきでしょ

みたいな議論が10週間続きます。大教室の授業でも、隣の人とディスカッションする時間は毎回あるので、根本的な価値観も世代も大きく異なる人たちに自分の考えを説明するのは大変でした…。ですが、「成長」と「分配」というフレームワークで考えることがはじめに共有されていることで、かなりお互いの主張の理解がしやすくなっていたように思います!

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ちなみに、初回の授業ではUltimatum Gameという実験も紹介されました。これは色んなバリエーションがあるのですが、おおむね次のような発見です。

①Aさん、Bさんの目の前で、Aさんが100ドル受け取る。
②Aさんは、Bさんにいくらか分け与えるよう指示される。
③すると、多くの場合、Aさんは、(あげた分だけ損するが)半額くらいをBさんに分け与える

という、まあ当たり前のような気もする実験なのですが、興味深いのは、この応用編として、「Aさんは、Bさんに1ドル以上あげないと、もとの100ドルを没収される。」というルールを追加した場合です。このとき何が起こるかというと、

④Aさんが「じゃあ5ドルBさんにあげる」と提案したとする。
⑤Bさんは、(断れば利益ゼロ、受ければ5ドルの儲けなので、受けた方が明らかに得なのだが)「5ドルは不公平だ!Aさんは100ドル没収されろ!」と考えて、断るケースが多い

ということが、実験によってはっきり確かめられている、ということです。

日本人は平等主義、とか、他人の足を引っ張る社会、とよく言われますが、どの国・文化でも、多かれ少なかれ、「他人だけが得をする」ことに対して反感があることを、実験できちんと示せているのは面白いと思います。

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2つのイラストの出典はこちら

Ultimatum Gameは、かなり分かりやすく、「二人とも、特に努力せず得をしているケース」なので、50ドルが平等だよねという結論になりやすいでしょう。(ある国では、半分より多く渡すのが普通でしょ、という感覚もあるそうですが。)

が、現実の世の中はそう単純ではありません。Aさんが労働して稼いだ100ドルだったらどうだろう、とか、Aさんと第三者Cさんが協力して得た100ドルだったらCさんはどう思うだろう、とか、「分け与える時にコストが20ドルかかる」としたらどうだろう…など、様々なバリエーションが考えられると思います。別の授業では、そんな議論をもう少し進めたリーディングの課題もありました。

いずれにせよ、「成長」と「分配」というフレーミングで考えると、様々な政策の目的や効果を考えやすくなるよな、というのはスタンフォード公共政策プログラムで初期に学んだことの1つでした。また、学部生向けにがっつり政治哲学の議論をするのはハーバード白熱教室だけじゃないんだ~、政治哲学の授業の中に行動経済学・心理学的な知見が織り込まれているのはさすがだな~、と感じたのを、次期総理のニュースを見ていてふと思い出したので、今回紹介させていただきました!ほんの少しでも、海外の大学の学びの雰囲気を知る+「公共政策」を考えるための助けになれば幸いです。

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