自然から学ぶ自律学習
お前はほんまにどうでええこと気にするなぁ。でもそれだけ魚のこと好きなんやなぁ。大人になってからいっぱい海や川、自然の事を勉強したらええ。海遊び帰りに婆ちゃんにおんぶされながら聞いた『魚って、どうやって息してるん?』は今でも覚えてる、3歳くらいだったかな。
爺ちゃんや親父が釣り吉だったこともあって、ぼくの2歳の誕生日には絵本ではなく魚の図鑑を貰った。言葉を覚えるのが早かったぼくはその魚図鑑を見て、この魚はゴンズイ!すさみではユルメ!これはヒレに毒ある!と和名に方言名、その魚の特徴まで、毎日名前当てゲームをしながら大好きな魚図鑑をボロボロにして遊んでいた。そりゃこう育つ、そんなぼくの話はまた今度。
大人になりつくづく思うことがある。知識というモザイク越しのフィルターを通して言えば、自然現象の法則を探求したかった純粋な気持ちから出た言葉だったんだろうなと。結局のところ今でも魚が息をしているかどうかなんて人間のスケールでしかないし、それをエラ呼吸と呼んでいるだけでそんなことはどうでもいい。川や海に魚がいることが大事で、その魚のをよく観察し、見て何か気付くことに意味がある。
娘の発見その①
なんやこのおくちパクパク
そんなぼくにも家族ができ、達者に喋る3歳の娘と遊んでいたときのこと
『ぱぱー、ぱぱー。』
『お魚さん、水から出たら死んじゃうの?』
『そうだよ、お魚さんは水の中でしか息できないの。』
『やっぱりそうだよね、やっぱりなー』
『やっぱりって?』
『お口パクパクしてずっとお水飲んでるの。でも、いっちゃんこんなに沢山お水飲んだらお腹いっぱいになっちゃうの。そうかー、やっぱりそうだよね!』
娘なりに腑に落ちたところがあったようで、魚は口をパクパクしてるけど、水は飲んでいないと感じた様子。これはあくまでもぼくが娘の代弁をしているんですが、娘のやっぱりは凄く大切な視点で、自分と魚をしっかりと対比し、魚は水を飲んでいるわけではないこと、それぞれに生存するための環境があることを、言葉として表現はできないが、観察することで理解している。なんて素晴らしいんや。
娘の発見その②
お魚さんはおめめパチパチしないよね
昼の魚観察を終えた夕方、水中メガネに水を入れた娘が
『へへー。パパどう?』と娘。
ぼくは思わず、何やってんの??と。
『今日お魚さんおめめパチパチしてなかったの。』
『それで?』
『いっちゃんお魚さんのマネしてるの!』
『でも見えない』
と、満面の笑み(笑)
ぼくは衝撃を受け、思わずパシャリ。
そうなんです。魚にはまぶたはありません。人間はかわいた空気の中で暮らしているので、まばたきをしてなみだで目の表面をぬらし、いつも目がかわかないようにして、目を守っています。
しかし、魚は水の中におり、わざわざぬらす必要はありません。なのでまぶたはいらないのです。当然まぶたがないので、まばたきもできません。魚の種類によってはまぶたのようなものをもっているのもいますし、サメやフグは目を覆うことがあっても、それらもやはりまばたきはしていません。
自然学習、そして共教育。
我が子ながら感動しました。娘は魚を観察し、実践、そして満面の笑みで結果報告。ぼくはその娘から沢山学ばせてもらいました。
田舎ならではの遊びから、魚を観察、そして自分と対比し、自分なりの実験で得たこの成果は、娘の財産となります。都会がダメというのではなく、自然や生物から学べる素晴らしい世界が、ぼくのふるさとには沢山あります。そしてそれらが田舎遊び。すさみ町という、海、山、川がゼロの距離にあるこの町に、自然から学ぶ素晴らしが溢れていることを、ぼくは発信したい。