わたしの「ワールドカップ」遍歴 その①

 年を取るごとにサッカーへの興味が薄らいでいく。それは日々の生活に追われるからでもあるし、単純に他のものに関心を持つようになったからでもある。
 マスコミが連日日本代表についてかまびすしく報道するワールドカップの時期になっても、4年経つたびに関心が薄らいでいくような気がする。それでも一度大会が始まれば、ノスタルジーとともにサッカーへの興味が少しは甦るのも確かだ。これを機に、これまで書こう書こうと思ってサボってきた、自分にとってのサッカー、というよりワールドカップの思い出をまとめてみようと思う。

○94年大会とサッカーオタクの誕生

 サッカーの経験がほとんどなかったわたしは、中学2年生の時に初めてワールドカップというものに遭遇する。その1年前の1993年、日本ではプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕し、あっという間に社会現象となった。いまでは考えられないことだが、水曜・土曜のゴールデンタイムでは地上波がJリーグを生中継していたし、人気選手はテレビのバラエティ番組に出ずっぱりだった。そんなJリーグブームに乗って、日本代表への注目も高まっていく。ちょうどその年は、翌年開かれるワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選が行われた年だ。マスコミは連日「悲願」の初出場を目指して奮闘する日本代表について報じていた。わたしの感覚では、ほんの1年前まで多くの日本人にとってサッカー日本代表など身近な存在ではなかったはずだ。それがほんのわずかな間に、ワールドカップ本選出場は全国民の「悲願」にまでなってしまったのだった。「宿敵」韓国に勝利した日本代表だが、結局本選のチケットを手にすることはできなかった。
 それでもJリーグブームと日本代表への関心が高まることによって、純粋なサッカーファンが増え、確固たる層を形成していったことも確かだ。わたしもJリーグブームに乗ってにわかサッカーファンになっていった一人だが、サッカーそのものを好きになる決定的なきっかけとなったのはワールドカップだった。それまでほとんど野球しか見たことのなかったわたしにとって、サッカーのワールドカップは一気に世界が開けていくのを感じさせた。北中米とカリブの島国、そして極東の3カ国では熱狂的な支持を得る野球だが、一方でサッカーは世界中をほぼカバーする。ロシア系の男性には○○ニコフ、イタリア系には○○ーニ、ドイツ系には○○ラーといった姓が多いということもワールドカップを通じて学んだ(そのおかげか、地理の成績だけは学校で1、2を争うほどだった)。ナイジェリアやカメルーンとアフリカ諸国の人々の顔も、ちょうどこの大会を通じて初めて目にしたのではないだろうか。また社会主義体制が崩壊したばかりの東欧諸国、なかでもゲオルゲ・ハジ擁するルーマニアとフリスト・ストイチコフ擁するブルガリアの躍進は世界の変化を感じさせるほど新鮮だった。
 特に個人的にもっとも印象に残ったのが、アルゼンチンの「ロン毛」たちだ。野球部に属していたわたしは、当然春と夏にはテレビで甲子園を見ることになる。丸刈りの球児たちが大人たちから称賛される日本の文化は、すなわちスポーツとはストイックであるべきというイメージを形作ってきたように思う。ところが、国の威信を背負っているはずのクラウディオ・カニ―ジャやガブリエル・バティストゥータは、きれいなブロンドの長髪をたなびかせながら躍動していた。髪型はただの見せかけにすぎないということをわたしに教えてくれたのだ。とてつもないカルチャーショックだった。
 元来オタク気質の強いわたしは、以後毎月「ワールド・サッカー・グラフィック」誌(「WSG」)を購入し、せっせと世界のサッカー事情を収集するようになる。いまでも覚えているのだが、はじめて買ったWSGの表紙はバティストゥータで、その次がジュゼッペ・シニョーリだった。94-95シーズンのヨーロッパ5大リーグのチャンピオンも覚えている。イタリアはすい星のごとく現れたアレッサンドロ・デルピエロ擁するデルピエロ、スペインはレアル・マドリ―、イングランドはブラックバーン・ローヴァーズ、ドイツはボルシア・ドルトムント、フランスはナント。それまで全く馴染みのなかったサッカーを通じて、わたしはヨーロッパや南米はもちろん、アフリカや中南米の国々への想像を膨らませていった。WSGは特に、ヨーロッパに偏らない誌面構成を心がけていたように思える。
 当時我が家にはBSがなかったし、フジテレビの「セリエAダイジェスト」も深夜枠でなかなか見れなかった。おもに活字から世界中のスター選手へのイメージを膨らませていたわたしは、たまにある体育の時間をつかって彼らの様になろうと試みた。結果は、キーパーのくせにバックパスを空振りしてしまうというお粗末なものだった。サッカーは観るものであり、やるものではない。そう思い知らされた瞬間であった。

○再びサッカー熱が高まったフランス大会

 その後高校に進学してしばらく経ち、部活が忙しかったことと、関心が他に移ってしまったことから、WSGの購入を止めてしまった。そんなとき、またしてもワールドカップ予選がやってくる。しかも今回は前回と違い、日本がとうとうワールドカップのチケットを手にする事に成功した。4年前に比べて、Jリーグの人気は落ちていたが(4年前の熱狂が異常だったのだが)、サッカーそのものへの認知度は確かに高まっていた。それに前回のワールドカップとは違い、今度は日本代表が出場するということもあって、4年前以上ににわかファンが急増した(わたしは「にわか」という言葉を肯定的に捉えている。誰でも最初はにわかなのだから)。「こいつ、マジで24時間野球のことしか考えてないんじゃないのか」という堅物の野球部キャプテンでさえ、練習試合の前日に夜ふかししてスペイン対ナイジェリア戦を見たという。最高峰のナショナルチームが凌ぎを削るワールドカップは、素人にもサッカーの魅力を十二分に伝える場だった。
 フランスワールドカップを機に再びサッカーへの関心が高まったわたしだったが、再度オタク活動をスタートさせるには時期が悪かった。大学受験に失敗し浪人することになったのだ。当時は各国1チームしか参加できなかった文字通りのチャンピオンズカップがチャンピオンズリーグへと変貌するなど、サッカー市場が肥大化しつつある時期だった。そんな熱狂の中、わたしは毎日代々木へと通う暗い青春を過ごしていた。それでもサッカーはそれなり見ていたけど。
 浪人の甲斐もあってめでたく第2志望に合格したわたしは、大学でも蘊蓄だけならサッカー部をもしのぐオタクとして存在感を放った。体育の時間では悪い意味で一番目だったと思う。そんな大学生の時に巡り合うことになったワールドカップは、なんと日韓共同開催というもう二度と来ないかもしれない自国でのワールドカップだった。

次回に続く。

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